東京新聞2013年2月3日(日)の『脱いつか来た道』の記事に「.....一流大学に入り、有名企業で働けば幸せになれる時代は終わった.....」と書かれていますが、私はそうであってはならないと考えます。
一流大学で勉強したり有名企業で働いたりすることは若い人たちにとってはとても貴重な成長の糧になります。またならなければなりません。ではどうして「.....終わった.....」といわれるのでしょうか。とても大切なテーマですから良く考えてみたいと思います。
私は早朝の通勤には特急を使用することがあります。早朝の特急の乗客の服装で靴を観察すると彼らの生活水準が推察されて興味深いものです。だいたい都心のターミナル駅に乗り入れる私鉄各線の住民の生活水準を知るにも靴の観察はとてもよい手がかりになります。
考えてみますと世界的なシューメーカーに名を連ねるのはヨーロッパやアメリカのブランドです。つまり靴の分野ではまだ日本は後進国であり靴へのこだわりはあまり強くありません。ですから靴の高級度や手入れの程度はいわば家庭の文化水準や経済水準のバロメーターでもありうるのです。
話が脇道にそれたようですので元に戻します。早朝の特急の乗客はおそらく有名企業や政府官庁の勤務者が多くいて、靴の手入れまで配慮が行き届く几帳面な生活をしているものと判断されます。彼らは日中の乗客よりもずいぶん礼儀正しいことにも驚かされます。
こうしたことから考えますと、やはり有名企業に働く人たちは労働者として社会人として言葉は悪いですが高い品質を備えていることは間違いなさそうです。そしてそうした人々の中で切磋琢磨して競い合うのも人生勉強のためにはとても貴重な経験になります。
「終わった」と言われる有名企業での問題は、そこに働く人々の問題ではなくて、むしろ効率優先が行き過ぎて人格を消耗させてしまう組織になっているところにあります。ですからこれからの就活において有名企業は終わったとして敢えて選択肢から外す必要は毛頭ありません。そのうえ志は高い方が励みになっていいのですから。
ただ人格消耗戦に無闇に巻き込まれたり加担したりすることにならないように高い見識をもっていつも行動すべきであることは自明です。