私たちの幸福には一般的な良識や常識の方程式では語りきれない形もありそうです。ですから私たちが週刊誌的に自分たちの良識を大上段に構えて他人の私生活を一刀両断するのはいかがなものかと思うのです。
私がロンドンに生活していたころの下宿のおばさん(55歳くらい?)は離婚歴があり一人息子と二人で生活していました。いつも週末になるととても優しそうな年齢推測不能なボーイフレンドが泊まりに来ていました。土曜日に二人でかいがいしく家の掃除をする様子はとてもほのぼのとして幸せそうでした。
このことを息子さんも近所の人たちも一向に気にするそぶりはまったく見せませんでした。一部屋借りている私の方がどこか居心地の悪さを感じて二人となるべく顔を合わせないように気を使ったことを懐かしく思い出します。
こういう幸福というのもありだなと思うと同時に周りも絶対に口出ししない寛容さ(内心までは不明)に感心しました。個人の私的世界には他人に迷惑でない限りは話題にしない干渉しないという姿勢が社会のルールとして徹底されていました。
個人的な幸福は個々の形として尊重され誰もが臆することなく自由に振る舞える社会には‘生きるエネルギー’が与えられていることを実感したロンドン生活でした。