小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2013年2月22日金曜日

命そして過労死 アメリカ人動物愛護家の話から

 私は動物愛護についていろいろと考えることがあります。日本ではあまり理解が進んでいませんから、このことを考える材料としてまず具体例をひとつご紹介します。それは私の20年来の親友のアメリカ人の話です。

 彼がなぜ日本にきて住み着くことになったかは知りません。なぜ人生をかけて動物愛護活動をしているかも知りません。また彼とは年に数回しか会いません。知らないことだらけですが、私にとってはとても大切な親友のひとりです。

 その理由は打算のないまっさらな人間関係のなかで率直な気持ちで話ができる人だからです。この感覚は西洋人と付き合っているといつも感じるものです。彼らは一人ひとりがしっかり自立していて打算のない個人的な人間関係で成り立つ社会に育ってきたからでしょうか。

 彼は英会話教師をしながら動物の保護活動に取り組んでいます。過激なことは一切しません。東日本大震災後は週末になると放棄されたペット動物の保護のために福島に通っているようです。彼がなぜそこまで動物を大切にするのか私もこれまで分かりませんでした。

 しかし、私も長らく野良ネコの世話をしてみて少し分かるような気がしてきました。私が見捨てられた多数のキャンパスネコを世話するようになって丸一年になります。餌やりや健康状態チェックが毎日欠かせない動物の世話は365日休みがありません。また日本では心ない虐待行為も度々ありますから神経を使います。

 私は彼に不用意にも「故郷に帰ったか」という言葉を感謝祭の時期に発したことがありました。彼は即座に「ノー」と答えました。その毅然とした表情に驚くとともに理由を測りかねました。しかし、100匹を超える動物を自宅で保護していては家を空けられるはずがないことが最近になってやっと分かってきました。

 私もなぜそこまでネコの世話をするのかとたびたび聞かれます。それは彼を見ていて「身近にある『命』さえも守れない社会では、自分や自分以外の『命』も粗末にされかねず、それは心のスキに満ち満ちた社会である」と考えるようになったからです。今では観念としてではなく実感としてそう信じております。

 日本も先進国並みに動物愛護の思想が育ってきたら、もっと「命」に優しい社会が見えてくるような気がしております。動物愛護とは関係ないと言われそうですが、世界に冠たる日本の過労死もきっとなくなるはずです。私は実はそう願って毎日ネコたちと付き合っています。