いわゆる秀才は平時には優秀な成果を納めることができても、何倍も高い能力を求められる緊急時には凡才にも劣るというのが、「平時秀才、戦時凡才」理論です。これは私のオリジナルではなくて最新の論文を読んで思い付いた言葉です。私のブログ「坂本竜馬は秀才?天才?凡才?」も同じ考え方で書きました。
日本はバブル崩壊後に20年以上も不景気から脱出できていません。これはいわゆる日本型秀才の能力的限界に主な原因があると見ます。日本の官僚は世界一優秀だなどともてはやされた時期もありましたが、それは平時にはという但し書きが付いているのを見落としたのです。
1980年代後半の巨大なバブルがすでに戦時であり、秀才型官僚には手に余る代物になっていました。ですから崩壊も不可避なものでした。つまり日本のバブル発生とバブル崩壊はともに史上稀にみる戦時のものですから、私たちの誇る秀才官僚軍団には残念ながら荷が重過ぎます。
今日でも政治家が官僚依存を打破できていません。官僚組織はといえば相変わらず従来型の秀才で固まっています。ですから前代未聞のバブル崩壊の後始末など無理な話です。この苦境を何とか突破するには「平時秀才、戦時凡才」理論によれば天才の出現をじっと待つしかありません。
しかし私たちは独創性や創造力つまり個性を大切にしない愚かな秀才ばかりを生産する教育しか知りません。社会システムもそれに乗っかってずっと胡坐をかいてきました。ですから待てども待てども天才はやってこず「永遠の待ちぼうけ」を食らわされる可能性が大きいと思います。
だってアベノミクスがあるじゃないかと言われそうです。確かに可能性があるかもしれませんが従来からの古い官僚政治が復活しただけと見たらそんなに期待できるでしょうか。少なくとも天才が出てきたわけではありません。それに今や世界経済と言われる時代に素人目にも少し内向き過ぎる感じがします。
では、偉そうなことを言うお前にデフレ脱却の名案はあるのかですって!?急に私にこんな難問を振られても困りますが、アリマス。ただちに世界の俊秀を東京に集結して日本の経済について議論してもらい、その成果を私たちの参考にすることです。日本には戦時に役立つ天才はいないのですから借りてくるより仕方ありません。