以下は支援と統制の相違を考察するための架空の物語です。
ある学生団体が大学で次年度の新入生勧誘のための申請の期日を失念していて少し遅れて申請書を提出しようとしましたが受付を拒否されました。
原則的にはこの申請は期日を過ぎていますので拒否されるのは当然です。特に教育現場の場合には期日を守るという危機管理的事項は間違いなく実行されねばなりません。学生さんが社会に出てからのことを考えれば誰が考えても当然でしょう。
ではなぜ期日が設定されるのでしょうか。それはこの出来事でいえば新入生勧誘活動が決められた日程のもとで滞りなく無事に終了するように準備期間を取るためです。
勧誘活動の準備作業といえば関係者間の場所取りの協議やら大学の行事との日程的な調整をすることです。またそれらを文書にして配布し関係者すべてに情報を周知徹底しておかねばなりません。
これらを考慮すると年末年始の休暇や期末テストなどの期間には準備作業は進みませんから12月の受付の締め切りが早すぎるとはいえません。したがって申請書の受付拒否判断には何の瑕疵もないように思われます。
ここまでできればこの架空物語に関する考察は60点くらいで合格でしょう。しかしあと40点が遠いのです。さて問題があるとすればどこにあるのでしょうか。自分で物語に具体性を与えてもう一段深く考えてみてください。
ここで事を取り仕切るのは大学では例えば学友会と仮定します。まず申請の遅れがその業務に大きな支障をきたすものかと考えるとそうは思われません。しかし期日遅れの行為の重さを知ってもらうにはこの懲罰的判断は大いに有効ですから一般的には受忍範囲のことといえます。
では学友会の本質的機能とは何なのでしょうか。それは学生さんの自主性を尊重して彼らの成長を支援することです。ところが学友会の受付拒否は新入生勧誘禁止を意味しますから、生き残りに新入生獲得が不可欠な団体は崩壊しかねません。
大きな管理組織の責任者はここまで考えが及ばないと失格です。物事の本質に立ち返って例外事象の分析をする習慣を身に着けないと、管理が表面的且つ形式的なものとなり支援の本質的な意味からどんどん遠ざかっていきます。
こうなると学友会の存在は教育上の支援のためと思われていたのに、実質的には学生さんの自主的な活動の場を強権的に破壊していることにもなります。
つまり「支援」が「統制」になってしまって本末転倒していることがわかります。この現象は行政領域でもたびたび見られることで今日の日本の社会の強直化の遠因かもしれません。
これは原則と例外の調整に思いが及ばない過剰な形式的完璧主義に関する問題でした。実話ではありませんがとても恐ろしい話です。長くなりました。