私がフランスの家庭で生活をさせてもらっていたときに気づいたことがひとつあります。それは日本の家庭は言葉によるお互いの生活的連携が足りないということです。
たとえばありがとうという意味の言葉 「Merci メルシ」です。私が食後にお皿を流しまで何度か運んでもいちいち「メルシ」が返ってきます。これはなにも家庭外の場の話ではありません。親子間でも夫婦間でも訪問者に対してもいつも事あるごとに「メルシ」なのです。
またフランスの食卓はお話しの華が咲きます。特定の私人を非難する話はありません。話題はいつも他愛もない無邪気なものばかりで日本人の私には会話の輪に入っているのも面倒くさいこともありました。でもみんなそんなことを感じている気配は微塵もなく会話は愉快に弾みます。
陰湿ないじめや鉄拳暴力で尊い若い命が失われていく悲惨な現実の背後には、このような人間仲間としてあるべき心温まる自然体のコミュニケーションが、私たちには少し欠けていることにも一因があるのではないかと考えます。