まず直にテーマに触れるのではなくて私たちの思考力や想像力には限界があるということについて考えてみたいと思います。
ひとつ具体的な例を挙げて考察します。例えばある不幸な事故で瀕死の重傷を負った人が奇跡的に全快して元の健康体に戻ったとします。この人がタイムトラベルを使ってやってきた21世紀から戦国時代に無事に生還したとしたらどうなるでしょうか。
こんな例を挙げると理屈っぽい人には「バカ、タイムトラベルなどというものを使って話を飛躍させるな!」などと怒鳴られそうです。しかし、待ってください。この飛躍もわれわれの考える能力の限界性を語るにはとても重要な手法です。
このストーリーを現代人に当てはめてみて合点がいかないのはタイムトラベルの部分だけです。一方で戦国時代の人たちにはすべてが信じられないでしょう。ですから生還者はきっと神とあがめられるはずです。
飛躍のツールとしたタイムトラベルのことを除外して考えると、戦国時代の人たちの医学常識からはとても想像できなかったものが現代人には当たり前のことになります。常識というものも決していつも未来永劫というわけではありません。
話の飛躍は人間の思考力や想像力が常識という枠に束縛されていて限定的であリ得ることを認識させてくれます。結論的に言いますと、私たちが考える常識にはあくまでも特定の条件においてという但し書きがあると認識しておいた方がよさそうです。
ですから尖閣諸島の領有権のことは日中間で次世代の知性に委ねるということもひとつの国際関係上の判断としては有りだといえるでしょう。
ついでですのでタイムトラベルの話です。タイムカプセルは理論的には可能のようです。でもそのために必要なエネルギーを発生させる理論が今日の物理学では知られていません。だからドラえもんの友だちにしてもらうしかありません。