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2013年2月24日日曜日

坂本竜馬は秀才?天才?それとも凡才?

 
 人気者の幕末の志士坂本竜馬は剣の達人ではあったようですが勉強の面では武道ほどの優秀さを語る逸話は見当たりません。では彼は勉強はだめだったのかというとそうも言えません。その理由をまずこれまでの日本の入学、就職、登用のための試験の方法に求めてみます。

 これらの試験はタイプで言えばいわば分かっていることしか出ない前例試験です。ですから前例試験には必ず答えがあります。社会では分からない答えのないことの方が多いのに、答えが用意されているバカみたいな前例試験がはびこっていては坂本竜馬の活躍する舞台はありません。なせならそこでは前例はあるかときっと問われるからです。

 この前例試験に要領よく対応するにはまずは多くの知識を蓄える一つ目のデータベースと各種の解法や考え方を蓄える二つ目のデータベースを作ることです。次に重要なのはすばやく柔軟に両方のデータベースにアクセスして解答に辿り着く型どおりに考える作業に慣れることです。この前例試験の領域では容量と効率と慣れの問題しか扱われていなくて独創性や創造性は完全に考慮の対象から欠落してしまっています。

 つまり私たちが受ける試験で点数化されるのは、結局は知識と解法のデータベースの容量と考える力だけであって独創力や創造力とは無縁のものなのです。こういう単なる要領の良さを頭の良さと言うならば坂本竜馬は凡才だったと言えるのかもしれません。

 しかし坂本竜馬の真髄はそういう平時にしか役立たない秀才風凡才の能力ではなくて戦時に役立つチャーチルのような比類なき天才的な能力を持っていたということだと思います。その能力を遺憾なく発揮できたのが彼の生きた幕末の時代性でした。

 では、今日の日本は平時なのか戦時なのかと問われるならば経済的にはもう終戦時です。失礼します!