学術誌『道徳と教育』第329号にー「道徳原則」と「例外」ーというテーマで伊藤啓一氏の優れた論文が掲載されていました。この論文を参考にして道徳原則における例外の取り扱いについて考えてみます。
先頃の東日本大震災の際の避難時に津波が押し寄せてきているにもかかわらず、踏切の遮断機が下りて警報機が鳴っていたのでドライバーたちは遮断機が上がるのを待っていたという話を聞きました。踏切では渋滞で長蛇の列ができて津波の来襲に逃げ遅れた人たちもあっただろうと気になります。
こんな異常事態には緊急避難的な措置として遮断機が下りて警報機が鳴る状態がエンドレスに続くことになっているようです。ですからいつまで待っても遮断機は下りたままで警報機は鳴り続けます。このような仕組みを住民は誰も知りませんでした。
このことを知らないドライバーは生真面目に遮断機が上がるのを待ち続けることで自分の命を津波の脅威に無残にもさらすことになります。冷静に考えてみるとあれほどの災害時には列車の来る危険よりも避難が優先されるべきですから遮断機と警報機の場違いな作動を無視できたはずです。
しかし実際にはそのような行動をドライバーは取れませんでした。こういう問題に直面すると道徳原則に対して例外を道徳教育上はどう説明したらいいのでしょうか。
参考までに伊藤氏の主張の一部をここに引用しますのでこのテーマの考察に役立ててください。『つまり、道徳原則に「例外」をぶつけることは、批判的レヴェルでの思考を働かせる場面を作り出し、道徳原則を鳥瞰的に眺め、その原則を支える大原則や根本的な価値をも考慮に入れて決定することを促進する。これが道徳的応用力としての「様々な場面、状況においても」主体的に判断できる力の育成につながっていくと思われる。』(道徳と教育 第329号 伊藤啓一著 p.5から引用)