小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2013年5月31日金曜日

ミャンマーのスーチー女史と韓国パククネ大統領の数奇な共通性に驚愕

 民主化の道を確実に歩み始めた感のあるミャンマーは、ヒマラヤ山脈の麓からインド洋に至るまでの細長い国土で、面積は日本の約2倍で人口は半分以下の5000万人です。国境は西から東にバングラディッシュ、インド、中国、ラオスそしてタイの五カ国と接していて隣国関係が難しい多民族国家です。


 私が最も注目するのは軍事政権下の自宅軟禁生活に耐え抜いた国民民主連盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー女史の存在です。彼女は父親を暗殺されております。家庭環境や学歴などは韓国のパククネ大統領(5月28日ブログで紹介)と類似点が多々あります。


 東南アジアで最も危険な地域に位置するミャンマーと北朝鮮問題で東アジアの運命を決めかねない韓国の政治の主人公が共に肉親を暗殺で失うという数奇な運命的共通性を持つことに驚きを禁じ得ません。今後の二人の自国の繁栄と世界平和への大いなる貢献に期待します。

ヘイトスピーチは表現の自由か?

 日本のテレビでもやっと報道されるようになってきたのがヘイトスピーチの目立つデモ行進です。恐らく海外のメディアに厳しい批判が出てきて取り上げざるを得なくなったこともあるでしょう。


 人間の心にはヘイトスピーチを生み出す正体不明のモヤモヤな闇が潜んでいるものです。そういう邪悪なものの誘惑を撥ね退ける力を持つには幼いころからのリベラルな環境が必要でしょう。特に不寛容な非常に狭い閉鎖的社会に閉じ込められて育ってしまうと自力でこの闇から抜け出すのは極めて困難です。


 関東大震災の時にもおかしな噂が飛び交って一部の特定の民族の人たちがたくさんの虐殺されました。デモ行進で敵意むき出しの「殺せ」などという言葉が何の抑制もなく出てくるのはもはや公共の場に値しない行為であると思います。

銀座のバーの価値とは?

 私は甲斐性がありませんので銀座のバーには行ったことが一度もありません。男性とは愚かなもので女性に囲まれて自慢話をしたい人は少なくないはずです。銀座のバーの価値は、まず絶対に厭な顔をされないこと、高い守秘環境が整っていること、そして美女淑女が寄り添ってくれて優越感を味わえることなどにあるのでしょう。

 

 フランスのラ・ロシュフーコーは名言を吐いています。「われわれは時々お世辞なんか嫌いだと思うことがあっても、実際に嫌いなのはお世辞そのものではなくて、お世辞の言い方、ただそれだけである。」またナポレオンも次のように語っています。「お世辞の言い方を心得ているものは、中傷とか誹謗の仕方も十分に心得ているようである。」


 ひょっとするとこういう心得のあるところが銀座のバーの世界の価値かもしれません。懐に余裕があったらホステスの生態を観察しながら確認してみてください。

笑い話 おかあさん and ママ

 「おかあさーん!」

 「ハーイ!」

 「ママー!」

 「ハーイ!」

 「いいな。わたしママって呼ばれたかったの。」

 「じゃ、わたし元の鞘に戻っていい?」

2013年5月30日木曜日

笑い話 ミス or ミセス?

 入場客  「さー、ミスコンの最終審査発表だ。」

 司会者  「今年のミスコンテストの勝者は5番の山田さんです。」

 娘     「わー、ママが勝っちゃった!」

 審査員  「エーッ!!!」

 夫     「いえ、私たちは事実婚です。」

アナログとデジタルの根本的な違いを理解しておこう

 私はアナログ派を公言して憚らない人間です。いったいアナログとデジタルは根本的にどう違うのでしょうか。専門用語をなるべく使わないで分かりやすく考えてみたいと思います。


 コンピュータはどのような基準で判断をしていかに作業を進めていくべきか明確な手順が書かれたプログラムなくしては絶対に動きません。プログラムは分かりやすく言えばコンピュータ用の聖書みたいなものです。コンピュータは自分から融通を利かせることは一分たりともありません。


 このプログラムはフローチャートと呼ばれる作業要諦を示す流れ図がベースになっています。ですから流れ図のないプログラムは存在しません。この流れ図はイエスかノーかの判断を繰り返しで組み立てられています。ここがデジタル世界の根本的なところですべては左右どちらかハッキリしないと先に進みません。


 一方でアナログの世界は富士山の絵を描く作業にたとえることができます。富士山の高さとか雪原の面積とか具体的なことは何も分からなくても絵は描くことができます。いわゆる脳に入ってきた刺激をそのままのイメージで把握するのがアナログの真髄です。細かなところまでイエスかノーかを決めなげれば進まないということはありません。


 いってみればデジタルの世界では対象を切り捨てる部分と拾い上げる部分とに厳格に分けて処理するのに対して、アナログの世界ではそれが曖昧で全体としてアバウトに処理されます。簡単に言えば「まっいいか」精神(5月21日ブログ)が許されるのがアナログの世界で許されないのがデジタルの世界と言えるでしょう。

日本を世界の原発技術の最終墓場にしない

 かつてはアメリカ、フランス、ロシアそして日本の3カ国が原発プラントを完全に独自技術で供給する能力を持っておりました。しかし1979年3月28日の米国スリーマイル島原発2号機が炉心溶融事故を起こしてからは情勢が大きく変化し、今日では日本がフランスと世界市場を席巻しています。


 日本とアメリカの原発開発は私企業によって推進されてきたのが特徴です。アメリカではウエスチングハウス社(WH社)が原発の老舗でしたが、2006年に名門の原子力部門は東芝に買収されてグループ入りしました。今日では本来のWH社は放送部門主体のまったく別の企業に変身しています。もうひとつの名門企業GE社の原発部門は日立製作所に買収されて2007年にその傘下となりました。


 そしてフランスの場合にはアレヴァグループが独占企業体として君臨していますが、フランス政府は持ち株会社アレヴァSA社に99%出資しておりほぼ完全な国営です。なかでもグループの中核企業アレヴァNP社は原発力プラントを手掛けていますがドイツの代表的重電メーカージーメンス社も34%の支配力を有しています。アレヴァNP社は日本の三菱重工と提携関係にあります。


 もちろん英国にも原発関連企業の英国核燃料公社がありますが完全に政府出資の国営企業です。この公社は原発運転、売電、核燃料製造、廃炉・解体事業に特化していて原発プラント建設には携わっていません。これは核保有国としてはリスクを最小限にする最も賢いやり方かもしれません。


 このように世界の原発プラント企業にはアメリカの技術を取り込んだ東芝と日立があり、フランスのアレヴァグループが追随して奮闘しているというのが実態です。三菱重工はアレヴァNP社への資本出資を望んでいるようですがフランス政府の反対から不調に終わっています。


 さてこうしてみるとスリーマイル島事故で一逃げたのアメリカの原子力産業を日本が買い取って積極的に動いているというのがハッキリします。そして核関連では独自路線を進むフランスが何とか日本と共同路線を張って原子力発電の斜陽化の流れに抗しようとしているのも理解できます。


 こんな状況からすると原発新設と寿命延長を凍結しているアメリカの今後の出方次第では日本が世界の原発技術の墓場となる可能性があります。もしそれで企業が破綻の危機に陥ったら国がその責任と負担を背負うことになるでしょう。利益は企業が存分に享受しておいて困ったら国が損失を補てんするという構図は福島原発事故だけでもう十分です。


 とにかくまずは福島原発廃炉技術の確立と放射性廃棄物の最終処分場の建設に全力を尽くすべきです。今後5年間以内に答えが出なければ原発はすべて廃止というのが妥当な結論ではないでしょうか。それまではもちろん原発の再稼働や原発の売り込みなどはすべきではないと考えます。

2013年5月29日水曜日

忍び寄る地方の老人施設の経営難

 1989年末のバブル崩壊からすでに24年が経過しようとしています。その間にほとんどの都道府県市町村の財政が国からの国税の分け前になる地方交付税なくしては回らなくなってしまいました。例えば都道府県で交付金なしでやっていられるのは豊かな東京都だけです。


 実は今日老人施設の経営状態について経営者らと話をする機会がありました。そこで出てきたのが疲弊する地方経済の深刻な状況です。高齢化と人口減少がダブルで進行しているうえに不況色の強い地方では老人施設の経営状態は想像以上に悪化してきているようです。


 そのうえ人手不足の追い打ちです。東京でさえ老人施設の人手不足は常態化しており、経営上の大きな頭痛の種のようです。ましてや地方では推して知るべしで地方の老人施設の人材確保はとても厳しい状況にあります。かといってどこも賃金を上げられるような余裕はなくて完全に悪循環に陥っています。


 国立社会保障・人口問題研究所の平成24年1月の人口推計によりますと2060年の日本の総人口は8674万人とされています。現在より約4000万人ほどの人口減少となり、いわば東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県そして茨城県の合計人口に相当する人間がいなくなる計算です。


 これほどの人口減少と高齢化そして長引く不況の三重苦の影響をもっとも受けるのが地方です。地方では人口減少高齢化で税収は減少し続けるため結局は介護保険制度を見直さざるを得なくなるでしょう。そこでもっとも影響を受けやすいのが老人施設ということになるのです。

洗髪の頻度 日本とパリの場合

 テレビでパリの人たちが毎日髪を洗わないことに驚いて話題になっていました。東京とパリでは衛生感覚が基本的に違うところがありますので、そのあたりを考えてみます。


 私の最初のパリ訪問は友人のチュニジア人に連れていってもらったときでした。ドイツを離れて10日間ほど彼の友人のアパートに居候しました。真夏の季節でしたが特に暑さに悩まされた記憶はありません。ただ安アパートですから風呂もシャワーもなかったことには困りました。


 その滞在中に頭が痒いとか体が汗臭いとかいう訳でもなく、ただ日本人的に習慣性から体や頭を洗いたくなっただけでした。真夏で毎日街中を歩き回ったのに、東京にいる程に汗臭くなったりシャツの襟が黒くなったりすることはありませんでした。気候が非常に乾燥しているのと道路に土埃が舞い上がることがないからでしょう。


 パリの道路の両端にはセーヌ河から引いた清掃用の水が流れており、その水を使って掃除夫が毎朝のようにゴミや土砂を綺麗に清掃してくれます。公園などにある地面も土というよりは粒の荒い白い砂という感じで、東京のような黒い火山灰の関東ロームとはまったく違います。


 またフランスでは住居の給湯器が旧式なために貯湯タンクの容量が限られています。そのため家族全員が一度に洗髪したらお湯は尽きてしまいかねません。こうしたことが相まってパリの人たちの洗髪回数は少ないのではないでしょうか。

笑い話 お相撲さんのエアバッグ

 「やっぱり相撲お立ち会いの衝撃音はこの世のものじゃないよ。」

 「しかし、なんでみんなオッパイが大きいんだ?」

 「あー、あれね。エアバッグの代わりで最近流行ってるんだ。」

2013年5月28日火曜日

日本と米中韓関係の鍵を握る人 韓国パククネ新大統領

 日本と中国とアメリカの関係は生き物のようなもので周りの環境の変化によっていろいろな姿を見せます。私は外交の専門家でも国際政治家でもありませんが、一般情報をもとに今日の日本と米中韓との関係の分析を試みてみたいと思います。


 この関係に影響を及ぼす主なものとしては今日では北朝鮮の核問題と国際経済の行方でしょう。特に核問題はもっとも厄介なものです。ひとつ対処を誤ればヒトラーの暴走を許したように北朝鮮の我儘がさらにエスカレートしかねない事態でした。そんな流れを一気に変えたのがパククネ新大統領の存在であるように思われます。


 パククネ大統領は両親をともに暗殺された悲劇の人ですが、そういう経歴を決して表に出さない芯の強さが感じられます。今回の北朝鮮の挑発には開戦も覚悟した固い決意を胸に秘めて対処したのでしょう。その断固たる本気姿勢に触発されたアメリカが動き、そして中国も動いた結果、北朝鮮の挑発行為も静まっていったような気がします。今後の東アジアの平和への貢献を期待します。

日本では禁句の人権という言葉

 私がある論文を書いたときに人権という言葉を使ったところ、親しい法学者から日本では使わない方がいいという親切心からの強い忠告を受けました。いわば理系人間の私にはとてもショッキングな経験でした。


 自民党政権が復活してからは子ども手当なども子どもの権利というよりは福祉という視点で語られるようになりました。人権にかかわる問題が福祉の言葉で片付けられてしまうと政策の後戻りの口実を残しておくことになりますし、かつての天皇制下の救貧・恤救の思想を復活させることにもなりかねません。

 

 医療や介護・福祉は国民の当然の権利であって国の懐具合次第の憐憫の施しではありません。このことが曖昧にされてきたために国家は財政状態が厳しくなれば安易なサービス削減で切り抜けようとします。そこが国家財政の無駄遣いがなくならないまま社会保障・社会福祉政策の中身ばかりが後退していく根本理由かもしれません。

笑い話 上野のパンダ シンシンの妊娠おめでとう!

 「上野のパンダが妊娠だって!」

 「ヤッター。」

 「去年はダメだったからね。」

 「生まれるのが楽しみね!」

 「動物園は日中両国の国旗で埋まりそうね。」 

 「そうか。動物園がチューリップの歌の色で染まるんだ。」

 

注 難解かも知れません。分からなかったら両国の国旗を眺めてみてください。そしてチューリップの歌をYouTubeで聴いてみてください。きっとピカッときます。

2013年5月27日月曜日

笑い話 雌ネコと雄イヌのケンカ

 雌ネコ  「ワンワンうるさいニャー。」

 雄イヌ  「いちいちニャーニャー言いなさんな。」

 雌ネコ  「アンタなんか文句あったら猿とケンカしてればいいの。」

 雄イヌ  「お前は三味線になってペンシャンペンシャン鳴いてな。」

 雌ネコ  「お行儀よく座ってオシッコもできない田舎者が何よ!」

笑い話 眠れない夜

 優等生   「あー、眠いなー。」

 ガキ大将  「昨日も早く寝ちゃったよ。」

 優等生   「テストの前でもぐっすり眠れていいなー。」

 ガキ大将  「僕だって眠れない日があるよ。」

 優等生   「本当か?」

 ガキ大将  「運動会の前!」

2013年5月26日日曜日

ツバメの巣を優しく見守ってあげよう

 私の利用する最寄り駅の階段脇の壁には毎年ツバメの夫婦が巣をつくる場所があります。今年もお父さん・お母さんツバメの営巣活動が始まり立派な愛の巣が数日前に完成しました。


 昨朝そこを通ると巣の下にフン害防止用の小さな棚が急ごしらえしてありました。ダンボール紙とガムテープで作った粗末なものですが駅員さんのいっぱいの愛情が感じられて朝からほのぼのとした気分になりました。


 大学の二階建て渡り廊下の支柱にやはりツバメが巣を作ったことがありました。職員が巣を撤去中に私がたまたま通りかかりました。私は可哀想に思って棚の設置を提案しましたが、すでに出た指示は翻らずに叩き壊されてしまいました。


 何千キロも旅をして南方から帰ってきてくれたツバメです。夫婦で一生懸命になって作り上げる愛の巣くらいおおらかな気持で見守ってあげたいものです。

重い話ですが 死刑廃止への日米の姿勢の差異

 日本でも死刑廃止の議論が盛んになされた時期がありましたが、今日では全く話題にもなりません。こうした事情の裏に何があるのか私にはよく分かりませんが、もう一度死刑制度について日米の姿勢を比較しながら考えてみたいと思います。


 日本と同様にアメリカの過半を超える諸州が、アジアでは中国が死刑制度を維持しています。一方でヨーロッパ諸国はロシアを含めてほとんどすべての国々が、アジアでは韓国、ミャンマーそしてラオスが、大洋州のオーストラリアとニュージーランドそして北米のカナダとメキシコも、廃止ないしは執行停止をしております。今日では国連加盟国194カ国中で130カ国を上回る諸国が事実上の死刑廃止国です。


 ウィキぺディアによりますとアメリカでも実は50州のうちすでに19州が事実上の死刑廃止をしています。また連邦最高裁の死刑違憲判断が下った1972年から1976年までの期間は死刑制度が廃止されていた事実があります。こうしたアメリカの死刑制度への対応を見てみると人権論として法的な議論の形で進められているように思われます。


 一方で日本でも死刑執行が実施されなかったこともありましたが、これは法的な理由からではなくて主に法務大臣の個人的な考え方によるものでした。ここが日本の死刑廃止議論がアメリカとまったく違うところです。日本のように死刑制度の是非がむしろ個別の感情論で語られているところでは被害者家族の気持という呪縛からどうしても逃れられません。


 私たちの間で死刑制度の議論が進まないのは、本当は人権論として話し合わねばならないのに、感情論で納得してしまっているからでしょう。この巧妙なすり替えがうまくいってしまっているところが日本の民主主義のひとつの問題点かも知れません。

北朝鮮問題と日本の核武装

 北朝鮮問題で気になることがあります。それがくすぶり続ける日本の核武装問題です。

 

 今回の飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問では拉致問題ばかりが報道されます。核問題はしっかりと話し合われなかったのでしょうか。厳しい話が出なかったのならば安倍政権では憲法改正による国防軍の次には核武装の話が持ち出される可能性があります。

 

 日本の原発開発は極めて保守色の強い人たちが主導してきたこと、その結果が無謀な世界第三位の原発立国であることを考え合わせると、日本の原発開発を純粋に電力確保のためだけから説明するのは違和感を覚えます。原発が全面停止しても深刻な電力不足に陥っていない事実を見ても何か別の意図が感じられてなりません。それが核開発ではないでしょうか。

 

 このような核開発願望の影がちらつく歴史的脈絡からして安倍政権は北朝鮮問題で核をあまり前面に出したくないはずです。北朝鮮の核武装に対して日本が米中韓側に完全に軸足を置いてしまうと自分の首も絞めかねないからです。それを避けるために核保有国の中国に強い対抗意識を持つ保守勢力が拉致問題を理由に掲げて特使派遣で北朝鮮と単独接触をはかったとも考えられます。

 

 米中韓が北朝鮮の核武装阻止に向けて本気度を増すにつれて日本の核武装の芽も完全に摘み取られかねない状況になってきました。もしそうなったら保守政権にとっては息の根を止められるに等しいことを意味します。北朝鮮の核問題は皮肉にも日本の核武装と切り離して考えられなくなってきました。

笑い話 パンダ

 「上野動物園にまたパンダが来たね。」

 「元気な赤ちゃんパンダが生まれるといいね。」

 「ところでパンダはネコなのクマなの。」

 「顔はネコで体はクマだよ。」

 「そうか。優しそうなのはやっぱり白クマさんに黒猫ディーンが雑じってるからなんだ。」

2013年5月24日金曜日

ブラピ夫人アンジェリーナ ジョリーさんの乳がん予防的手術

 ブラッド ピット夫人アンジェリーナ ジョリーさんが乳がんの遺伝子検査の結果から予防的手術を受けたことが大きな話題になっております。世界一の美女と言われて女性美の象徴的な存在ならではの騒動です。


 TIME誌(5月27日号、p.28)の報道によれば遺伝子検査で乳がんのリスクは87%、卵巣がん50%と診断されて手術を受ける決断をしたようです。ジョリーさんはお母さんを2007年に卵巣がんで失っております。彼女は家族の子どもたちを気遣って次のように語ったようです。

 

 「私を乳がんで失う心配はいらないと子どもたちに言えるわ。...私が子どもたちを愛していること、そして一緒にいられるのなら何でもするということがわかったでしょう。」親のない子どもへの慈善活動に愛情と情熱を注ぐジョリーさんです。可能な限り子どもたちといっしょにいてあげたい生きていたいというのは母親の自然な願いでしょう。

 

 TIME誌の記事によるとアメリカではジョリーさんと同様のリスクを持った女性の36%が予防的手術を受けているそうです。これからもジョリーさんが世界の恵まれない子どもたちに元気で寄り添ってくれることを心から願っています。

笑い話 胃の検診

 「それでは胃の写真を撮ります。」

 「では、上を向いてください。」

 「ハイ、次は腹這いになってください。」

 「今度は右肩を下にして横を向いてください。」

 「最後に左肩を下にして横を向いてください。」

 「ハイ、終わりました。ご苦労様でした。」

 「先生!オレ5年前に胃を取られちゃってんだけど。」

 「エッ!」

2013年5月23日木曜日

笑い話 学習塾の効用

 「純ちゃん、塾行って勉強してるの?」

 「うん。」

 「奈々ちゃんも?」

 「通っているよ。」

 「佑くんも塾でお勉強?」

 「もちろんだよ。」

 「じゃ、みんなお家で何してるの?」

 「ゲーム!!!」

2013年5月22日水曜日

笑い話 ゴキブリとクモ

 「ゴキブリは冬眠します。」

 「天敵のクモも冬眠しますか。」

 「もちろんです。」

 「どっちが先に眼を覚ましますか?」

 「もちろんゴキブリです。」

 「どうしてですか?」

 「早く逃げないと食べられちゃうからです。」

アニメやゲームなどのポップカルチャーでGDPに貢献!?見返りを求める日本の文化支援

 経済産業省主導のクールジャパン政策関連のポップカルチャー分科会議長中村伊知哉氏はマンガ、アニメ、ゲームを核にしたポップカルチャーへの政府支援を推進したいようです。


 中村氏の説明の一部を引用してまとめますと、「一流のクリエーターやプロデューサを育てる」ためにデジタル環境整備や人材育成(教育)などに金を出すとともに、「間違った業界に金が流れ、ダメなヤツを温存してしまう」のに歯止めをかけたいということのようです。行政関係者に間違ったとかダメだとか勝手に決められてしまってはポップカルチャーの面目丸つぶれです。その居丈高な姿勢がまず気になるところです。


 私はこのポップカルチャーという現代流行文化にはほとんど門外漢ですので具体的な批判や提案は差し控えます。ただひとつはっきり言っておきたいのが、もし「文化支援」を語りたいのであるのならお金に結びつくような貧相なことは言ってはならないということです。


 中村氏は明確に金儲けとの関連性を否定しておりますが、「コンテンツ産業の売り上げを伸ばすというより、コンテンツを触媒として、... 、GDPを伸ばすということが狙い。」とも述べています。結局は金を出すから金儲けにつなげよということなのです。そこが日本の文化支援の一番の問題点なのです。


 日本政府はおよそ文化支援に見返りを求めたがりヨーロッパ先進国のような粋な計らいはどうしてかできません。文化支援に見返りを求めるのは「ポルシェ買ってやるから勉強しろ!」と言ってドラ息子を育てるのと同じ理屈です。文化支援には「活き」と「粋」が欠かせないことを忘れないでください。

旅の恥は掻き捨て 西欧と日本の違い

 仮面をかぶるとは本心や本性を包み隠すことだと辞書では説明されています。もう少し分かりやすく表現するならば、自分の本性が顔に表れないように仮面を利用すると言えるでしょう。

 

 私は街中でドラえもんの仮面でもかぶっていたらどんなに気持が楽になるだろうかと思うことがあります。これは街を行き交う人々の中でさえも普通名詞の存在になりき切れていない自分があるからでしょう。群衆の中には私を固有名詞で知る人はいないはずなのに不思議です。


 「旅の恥は掻き捨て」という格言が日本にはあります。私がヨーロッパやアメリカにいた時には耳にした記憶がありません。改めて数人のアメリカ人や中国人に聞いてみましたが知らない様子でした。これは見知らぬ土地に行ったときの解放感を日本的にうまく表現したものかもしれません。

 

 秘められた本音の自分と現実の建前の自分との二相状態から脱出するのは日本では容易なことではないからでしょうか。一方でこの二つの自分の隔たり感は西欧人には小さい気がします。その理由は両者の距離を縮めていくことが西欧的な人間的成長を意味しているからでしょうか。

 

 私の勝手な結論ですが、普段に本音で生きていれば仮面をかぶるとは本音を隠すことになります。しかし普段が建前であれば本音を出すことにもなり得ます。仮面をかぶる意味がこんな風に正反対の意味にもなり得ることをみなさんは想像されたことがありますか。

大学学生課 学生取り締まりは本当の指導か?

 大学におよそ30年以上いるといろいろなことがあります。この頃になって気になるのが学生指導のやり方の変化です。簡単に言ってしまえば見守り型から取り締まり型に変わってきたことです。


 青春真っ盛りの学生時代にバカをするなと言う方がむしろおかしいのですが、今日ではオウム返しに規則規則と言って学生を取り締まります。警察の駐車違反取り締まりのように有無を言わせぬ処分で断罪してスッキリというのが今日の学生指導の実態でしょう。何故こうなってしまったのか。


 一つはどこの大学もひどく世間を気にするようになってきました。学生が事件を起こして報道でもされようものなら、あたかも大学が悪いことをしたかのような雰囲気で処分が下されます。つまり大学の視線がマスコミの方に傾いてしまい学生指導の原点が顧みられなくなってきたことがあります。


 もう一つは社会の変化でしょう。ドイツ週刊誌デア シュピーゲルが言うように日本人がホンダ、パナソニック、ソニーなどの起業家の持っていた冒険心を忘れて臆病になり過ぎているからでもあります。一切の過ちを許さない規律絶対の世の中になってきて人をかばう雰囲気が失われつつあります。


 かつてはどこの大学でも退学させた学生を場合によっては復学させてそっと見守る懐の深さがあったものです。ここまで庶民化した日本の大学でやり直しを許さない冷やかな学生指導には何かどこかに置き忘れてきたものがあるような感じがしてなりません。

笑い話 夢の星空

 「スゴイ!評判通りの満天の星空だ。」

 「星がいっぱいね!」

 「イヤがってたけど来て良かっただろ。」

 「夢のように金色に輝いてる」

 「エッ、お前の夢は色つきか?」

 「私は平和主義者。白黒つけるの嫌いなの。」

中国でのビジネス: アムウエイの成功例に学ぶ

 私の知り合いにはたくさんの事業家がいます。私が中国への進出の意欲を尋ねると必ずと言っていいほど否定的な返事が返ってきます。


 それはこれまでの痛い経験や同業者たちの具体的な失敗談から出た結論ですからなかなか説得力があって私には反論の余地がありません。そんなことを不甲斐なく思っていたら出てきました!Harvard Business Reviewの4月号(p.41)にアムウエイの成功例が紹介されています。


 やはりアムウエイは何度か中国の特殊な市場性に痛い目にあったようです。今日ではそれでも粘り強く現地に適応していって年間売上高40億ドルのアムウエイ最大の市場になったということです。市場を理解して長期的な展望に立ち柔軟な対応をもって強固な信頼関係を築くことが大切であると伝えられています。


 中国は13億人を超える人口を擁する巨大市場です。その特殊性をまずは受け入れて果敢に挑戦すれば魅力ある市場となるのではないでしょうか。ここで諦めていては日本にとっても中国にとっても大きなマイナスであることは間違いありません。両者にとってプラスになるならばどこかに突破口があるように思われてなりません。

2013年5月21日火曜日

笑い話 クラブ活動

 「みんなー、暗くなったから公園一周で終わりにしよう!」

 「ヨーシ、最後だ。頑張ろうぜ!」

 「イッチニ、イッチニ。」

 「イッチニ、イッチニ。」

 「イッチニ、イッチニ。」

 「エッチね、エッチね。」

 「???」

賢い政治家とは

 18世紀のアメリカの政治家・外交家ベンジャミン フランクリンは次のような言葉を残しております。

 「愚かな人間は、自分の思っていることをすぐに口に出してしまうが、賢い人間は、思っていることをちゃんと胸の中にしまっておいて、軽率には口に出さないものである。」

アメリカ合衆国オクラホマ州の竜巻

 5月20日にオクラホマ州周辺で発生した巨大竜巻で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。被災された住民の皆さまにも心からお見舞いを申し上げます。

いらっしゃいませ、こんにちは!はもう止めにしませんか

 この挨拶の仕方を初めて聞いてからすでに久しいですが、最初に耳にしてからずっと耳障りで仕方がありません。昨年にはどこかのデパートでも経験して仰天しました。


 この言葉は特にある大きな古本チェーン店のトレードマークになっています。かつては若い店員さんたちが忙しく古書を棚に整理しながらもひっきりなしに大声で発していました。元気でいいのですが無差別で空砲状態なのとダブリ言葉のバカ丁寧さが気になって仕方がありません。


 こんにちは、これは立派な挨拶言葉でこれだけで完結しています。いらっしゃいませ、というのもやはりこれだけで十分な挨拶になっています。これらを重ね合わせて客への気持ちを一生懸命に表現したかったのでしょうが、過ぎたるは及ばざるがごとしです。

笑い話 花の都パリ

 「憧れのパリはやっぱりいいなー。」

 「芸術の香りがするわ。」

 「詩人の呼吸を感じるよなー。」

 「シャンソンの人間臭さもあるわ。」

 「誰もが憧れ愛した歴史の町だ。」

 「ヒトラーもね。」

「まっ、いいか」精神の大切さ

 私たちは毎日何回くらい「まっ、いいか」と呟いて何かを許すことがあるでしょうか。私はこの呟きこそが寛容の精神の代名詞であり、現代社会には最も欠けているものだと思っています。


 本来の自由な社会とは寛容の精神という滋養分を十分に取り込んで程良い間隔をもって作物の苗が育つものです。ところがこの栄養分が不足すると苗が押しくらまんじゅう状態になってしまいます。こうなると余裕のない苗は互いにぶつかり合いばかりして豊かな実りをもたらしません。


 近年では学校環境でもどこかに寛容の精神を置き忘れてきたモンスターペアレントの出現で教育は大きく揺らいでいます。教師はこうした親だけではなくて今日ではモンスター校長やモンスター教育長の出現にも苦慮しているようで、上下両方から挟まれてまるでドラ焼きのあんこ状態です。


 このような状態の社会や教育現場はとても「まっ、いいか」と看過することはできません。みんなが日頃から人に対して「まっ、いいか」精神を忘れないで生きるようになれば必ずやもっと住みやすい自由な社会が訪れるのではないでしょうか。

2013年5月20日月曜日

春画は芸術か?

 何が猥褻かと問われて見れば分かると名言を吐いた人がいましたが、春画は芸術かという問いにも答えに窮します。ただこの疑問が出てくると必ず思い出すのは私がフランスにいたころの友人たちとの夕食時のことです。


 食卓での話がそちら方面にそれたきっかけは高齢な招待主の奥様が夫の求めが頻繁すぎるとこぼしたことでした。それで宴は俄然盛り上がり諸説紛々どうにもならない混乱状態に陥りました。こういう環境では異郷のゲストが犠牲になるのが定石です。


 とうとうお前はどう思うと話を振られて困惑しながらスープをすすっていた記憶がよみがえります。他人の愛の回数など私には興味はありませんし、老若男女入り混じっての熱弁に気後れしてしまったことも事実です。底抜けにあっけらかんとした雰囲気にフランス社会の熟成度の高さを感じました。


 さて春画の話ですが、彼らは日本の浮世絵の春画をよく見ているのか絵の表現そのままを信じていました。日本人はデ●●らしいがお前はどうだときたのです。まったく歌麿か誰か知りませんが浮世絵師も余計なことをしてくれたものだと答えておきました。


 長くなりましたが、春画は芸術か?の問いに対する私の回答は、見る人によってどちらにもなるというものです。あのフランスならばきっと芸術になり得ますが、日本ではまだそうもいかないというところではないでしょうか。

100本の蝋燭をともそう ヒトゲノム解読と長寿

 戦前は人生50年とされていましたが今日では人生80年といっても過言ではありません。今は定年後にクラス会を開いても50人クラスなら数人しか欠けていないのが普通でしょう。


 日本人の平均寿命が戦後急速に延長した理由は、主に米軍が公衆衛生対策を徹底したことや抗生物質とかワクチンなどが開発されて乳児死亡率や結核死亡率が激減したためです。日本人が長生きするようになったとはまだ言えませんでした。ところが今日では平均寿命はみんなが長生きすることの指標になっています。


 長寿研究は21世紀の幕開けとともに新しい時代に突入しました。それまでは主に長寿地域の疫学的研究が主体でした。ところが2003年にヒトゲノムの解読が完了すると遺伝子研究にシフトし、疾病予防に役立つ遺伝子の探索が次第に主流になってきています。


 その成果として高血圧症、認知症、高脂血症等の予防に役立つ遺伝子が特定されていますが、もっとも注目されているのが心臓病やガンのリスクを低下させる遺伝子です。こうした遺伝子は遺伝的なものですからある人とない人の違いを際立たせる結果にもなりかねません。


 実際には長寿遺伝子はそれがちゃんと働いてくれるような生活をしていなければ役に立ちません。ですから長寿遺伝子など無くても若いころから健康的な生活習慣に気を付ければ長生きできる可能性は高いともいえます。いつかみんなが誕生日に点った100本の蝋燭を元気に一息で消せる日がくるといいですね。

猫の天気予報は本物か

 昨日は朝から我が家の猫たちはずっとほぼ昏睡状態でした。まさかと思っていましたが晴れ上がった良い天気が午後になると曇りだして夕方には本降りになりました。


 気圧は朝が1006ヘクトパスカルで雨が降り出した夕方には1000ヘクトパスカルでした。どうも私の観察によれば12時間で4~6ヘクトパスカルの低下が始まる時には我が家の猫は完全に睡眠状態に入ります。


 どうしても分からないのはなぜ低下を先読みできるかということです。そこが知りたいのですが謎です。皆さんも家に猫がいたら観察してみてください。興味深いはずです。


 ひょっとすると地震のナマズではありませんが何か自然界には前触れがあるのではないかと思うのですが...アナログ人間のアナログ的な呟きです。

2013年5月19日日曜日

大学図書館の係員がずっと受付で起立しておりました

 昨日黒猫ディーンの餌やりのあとでしばらく図書館で過ごしました。土曜日のせいか人影はほとんでありませんでした。そこでとても奇妙に思ったのが受付係員が入館者は誰も来ないのにずっと起立していたことでした。


 おそらく図書館のリーダーでも代わって起立命令が出たのでしょうが、過剰に丁寧な対応はむしろ非礼にも通じます。私の自宅近くのドラッグストアのレジ係は客ごとに両手を揃えてしっかり前かがみにお辞儀をしてからレジを打ち始めて終わるとまた同じようにお辞儀をします。


 ここにイギリス牧師ヘア兄弟の名言があります。「丁重というのは、善意の外面的衣装である。多くの人の場合、堅果の殻を割ってみると、仁らしきものがどこにも見当たらないといった、いわゆる仁なき殻みたいなものである。」


 私の勝手な見方かも知れませんが、日本の得意な礼節もやり過ぎると悪乗りしてきた印象を与えかねません。とにかくただでさえ働きにくくなった感のある労働環境下でこんな無意味な強制が横行してはたまったものではありません。

美男・美女の価値とは?

 世界中で整形手術が流行しつつあります。現代社会において美男になりたい美女になりたいというのはどういうことなのでしょうか。


 ここにフランスの劇作家の名言があります。「愛情が湧いてくると、何でも美しく見えるものである」(ジャン アヌイユ)というものです。美男・美女という価値観はいわば普遍的なものでどこに持ち出しても瑕疵がないことと言えます。この一般的価値を個別的価値に分解する力がこの名言にはあります。


 つまり美男・美女という一般的価値は一対一の関係になると決定的なものではなくなります。あばたもえくぼとはよく言ったものですが、そこまで人が好きになれれば幸福ではないでしょうか。

就活対策 洗練された自信というブランド力

 もう大昔の話になりますが私はドイツの眼鏡枠製造工場を日本の販売業者の通訳として訪れたことがあります。彼は眼鏡枠の直接買い付けに来てその出荷価格のあまりの安さに驚いた様子でした。日本ではドイツの眼鏡枠はブランド力があって高い卸値と高い小売値が当たり前だったようです。

 

 この経験をして私が理解したのはブランド力という経済的価値の大きさでした。製品の高性能・高品質だけでは販路や利益には限界があります。どんなに優秀な製品でもブランド力がなければ世界を相手に大きな利益を期待することはできません。


 そこで人間のブランド力について考えますと、それは自分が自分であることへの洗練された自信かと思われます。高学歴の人の評価が一般的に高いのは大学の勉強で育まれた洗練された自信が見て取れるからでしょう。大学生が自信をより洗練されたものに深めるためには、一度真摯に学問に触れてみることが一番の近道ではないでしょうか。

2013年5月18日土曜日

ドイツ週刊誌に気になる一行  原子炉廃炉と最終処分場問題

 DER SPIEGEL誌(19/2013, p.26)にドイツの原子炉廃炉と最終処分場の問題についての記事がありました。小さな記事ですのでほとんど日本人は読まないと思いますが、特にその記事中に一行だけ気になるものがありました。


 それは「どのように廃炉を進めるのか具体案はまだない」というものです。正常に停止した原子炉でさえ廃炉作業は最終処分場との関係などからまったく終わりが見えません。ましてや東電福島第一原発では破壊された原子炉をどうやって4基も廃炉にするのか技術的な問題も山積しております。


 政府や東電は40年後に廃炉作業完了などという希望的な話で国民を安心させておいて、そう言った関係者はみんな死んでしまってからウソだと分かったら残された世代はどうするんでしょうか。事故から40年後になってダメだったと言われたらパニックどころでは済みません。


 政府やマスコミの弁明は決まって国民にパニックを起こさせないための配慮だというものです。しかし、ハッキリ言って少なくともドイツではパニックは起きていません。日本人は何でも本当のことを知らせるとすぐにパニクッテしまうと政府に決めつけられては悔しい限りです。

日本のマスコミが逃げた大惨事のTIME誌写真を見ましたか アパレルという新しい奴隷産業

 TIME誌(5月20日号, p.22)は4月24日に発生したバングラディッシュ縫製工場の大惨事を報道しています。記事によれば犠牲者は700名以上に上るようです。倒壊した瓦礫の中で抱き合って死んでいる若い男女の姿を掲載の2ページ写真で見ると涙をこらえきれません。


 私たちには成長著しいアパレル産業の陰でこのような残酷な事実が存在しようなどとはとても想像できません。安くて高品質のアパレル製品の製造のために後進国の若者たちが奴隷のように過酷な生活を強いられ命を粗末に扱われているのです。この事実を知るとこれまでのように浮き浮きした気分で店舗に足を踏み入れられるものではありません。


 アパレル産業は製品の製造コストを一円でも安くして競争に勝ち抜くために次々と労働力の安い後進国に進出していっております。しかし、それが故に新しい奴隷産業になっていくというのなら、私たち消費者はもう少しお金を出してもいいのではないでしょうか。無責任なようですが犠牲者のご冥福を心からお祈りします。

幸福は自分の手でたぐりよせよう

 ここに世界名言集(岡田春馬編訳 近代文芸社)があります。幸福をテーマにして世界的な人物が名言を残しております。


 その中からいくつか引用してみます。


 ジョン ペリー(アメリカ詩人・小説家)

  楽園の鳥は、捕らえようとしない人の手の上にのみとまるのである。

 アンドレ ジード(フランスノーベル文学賞作家)

  幸福の追憶ほど、幸福にとって致命的なものはない。

 エルバート ハバード(アメリカ実業家・作家)

  悲しみに耐えるのは、一人でできるが、しかし、喜ぶとなると二人要る。

 トマス ジェファソン(アメリカ第三代大統領)

  我々に幸福をもたらしてくれるもの、それは決して富や名声ではなくして、静寂と仕事である。


 ジョン ペリーの言葉にも思い当るところがありますが、アメリカ元大統領ジェファソンの仕事が幸福をもたらすという認識には政治家として深く敬服します。こういう指導者が日本にも出てきてもらいたいものです。


 ここで考えてみたいのが幸福と歓喜の違いについてです。この相違を映像的に想像するならば水面に石を投げ入れた時のことを思い起こしてみます。歓喜は石が跳ね上げて水しぶきが上がる瞬間的な現象に、幸福はその後にじわりと波紋が広がっていく様子にたとえられるのではないでしょうか。


 こう考えてみると歓喜は幸福のタネのような気がします。チョットした褒め言葉を掛けたり、時には花を活けたりと日頃の小さな心遣いから生まれる喜びから幸福は育まれるものではないでしょうか。

スポーツを心から愛する人たち

 ホンダは不況で撤退していた世界最高峰の自動車スピードレースF1 に2015年に復帰することを発表しました。おめでとうございます。ただ私には何となく割り切れないところもあります。


 自動車発祥の地ヨーロッパで人気の高いF1 レースへの参加はホンダの言うように自動車開発等に役立つのは確かでしょう。しかし、それ以前にF1 レースは夢のあるスポーツです。スポーツは娯楽であるとともに大切な人間の情熱の対象でもあります。決して単なる企業の実験室や広告塔ではありません。


 正月の最大スポーツイベントと言えば箱根駅伝です。多数の大学が出場権を賭けて血眼になって莫大な予算をつぎ込んでいます。その理由は大学を全国区で知ってもらうにはまたとないチャンスだからです。つまり正月のテレビ画面に大学名が映し出されてナンボの世界になっていて学生スポーツの色合いは失われつつあります。


 世界一になって突然ブレイクしたなでしこジャパンの例を見ても分かるようにスポーツは企業の関心とは別のところで情熱のある選手やスタッフ等によっていつも守られています。今回のホンダのF1 レース復帰でも不況下にF1 レースを投げ出さなかった多くの企業があったからこそ実現したことを忘れてはなりません。

笑い話 ドラ息子の入学式

 学長     「みなさん、おめでとうございます。」

 父親     「これでほんとに決まったんだねー。」

 母親     「ホッとしたわー。」

 ドラ息子   「そうか、もう出るのも決まったんだ。大学なんて楽勝だね。」

2013年5月17日金曜日

笑い話 歯無し英語

  小学生英語


先生  「お父さんは?」

生徒  「ファーザー!」

先生  「羽根は?」

生徒  「フェザー!」

先生  「よーくできました!ゴンちゃんもう一度。」

ゴン  「...」

先生  「言えないの?」

ゴン  「ヒャーザー、ヒェザー...」

先生  「何それ!」

ゴン  「前歯がないから空気が抜けちまって...」

ロダンの彫刻 性と生命力を表現する

  このところ慰安婦問題から男の性についていろいろと考えさせられているうちにロダンの彫刻「グラウコス」を思い出しました。このブロンズ像は胡坐(あぐら)をかいている一人の老紳士の股ぐらに妖艶なニンフがかがみ込んで胸に顔を埋めるという艶めかしい構成になっています。


 その製作年は1881年以前の明治初期頃とみられております。その頃の日本といえば富国強兵政策のもとに戦争に向けてまっしぐらに突っ走っていました。とにかくロダンのこの作品からは当時の日本とフランスの文化的距離の大きさがはっきりと分かります。

 

 「グラウコス」のブロンズ像を見るとすでに19世紀後半のフランス芸術の世界では性と生命力というテーマが取り上げられていたようです。生命力の灯が消えつつある肉体の前にわざと若きニンフの姿を置いて老体から発せられる性の呻吟をロダンは表現したかったのでしょうか。彼の意識の自由さと豊かな発想力に驚嘆せざるを得ません。

「子どもは人口の20%だが、未来の100%」

 5月13日のブログではドイツ紙による新聞や個人の固有名詞まで出した東大エリート批判めいた内容には触れませんでした。どこの国にもエリート大学はありますからエリートの存在を否定しているとは考えられません。何が外国人記者には気になるのでしょうか。


 記事から推察すると日本社会の集団性をエリートが支えるという姿勢が目立つからだと思われます。彼らのエリート観ではエリートには英国紳士のような自立した気高さがあってしかるべきなのに、日本のエリートにはエスタブリッシュメントに隷従しつつも配下には尊大な振舞いをする卑屈な姿勢が見て取れるからでしょう。


 特に日本の官僚にエリートらしく凛とした高潔さが備わっていたら子どもたちにツケをまわす1000兆円の負債は積み上がらなかったと思います。そういう意味で池田潔著「自由と規律」(5月13日ブログ)などをヒントに日本の教育の未来像を政府任せにせずに私たちが真剣に考えなければなりません。

 

 英国労働党元首相・元財務相ゴードン ブラウン氏は「子どもは人口の20%だが、未来の100%だ」と語ったそうです。どうです、この英国紳士の若者を思う心意気の素晴らしさは!伝統の紳士教育で育まれた高潔さは!

笑い話 早すぎる御利益

    修学旅行


 バスガイド 「それでは上野公園を後にして東大方面に向かいます。」

 ガキ大将  「西郷様の銅像はやっぱり立派だったなー。」

 バスガイド 「これが学問の神様の湯島天神です。」

 ガキ大将  「サーッ、お賽銭をはずんだからなー。」

 バスガイド 「さて、ここが狭き東大赤門です。」

 ガキ大将  「スッゴイ!やっぱしもうドーンと開いてるぞ!」

笑い話 お殿様

 「苦しゅうない。近こう寄れ。」

 「ハーッ!」

 「苦しゅうない。もっと近こう寄れ!」

 「ハハーッ!!」

 「余は耳が遠いのじゃ。まだ分からんのか!!」

2013年5月16日木曜日

PM2.5騒動 今頃になって従来からあったなんて環境省さんズルイですよ!

 私は3月1日のブログで触れましたが、浮遊粒子状物質PM2.5による環境汚染問題では中国からの飛来問題よりもまずは国内汚染源対策の方が大切なことはちょっとした知識があればすぐに分かることです。

 当時の環境省は突然降ってわいたような中国からのPM2.5飛来報道による大騒動では沈黙を守りました。そしてほとぼりが冷めた今頃になって以前から濃度が高かったことを発表するとはズルイです。また当時マスコミに登場して騒動を煽った専門家も良識がなさ過ぎます。

 おそらく今回の環境省の分析結果を読む人はほとんどいないでしょう。そしてPM2.5イコール中国大気汚染という誤ったイメージがこれからも独り歩きを続けることでしょう。この誤解を利用してかPM2.5対策用のマスクまでが市販されているようで驚いています。

詩集から シングルマザー

 このところ子ども手当の廃止など退行的な政策が目立ちますがもっと社会で温かい目を注いであげたいものです。過去の話になりますが終戦直後にはこんな世界もありました。


    いち の へや  東淵 修


 おい ぼうず なんで こないなばんに ひとりぼっちで いてんねや

 なにいうてんねや おっちゃん ぼく ひとりぼっちと ちゃうねんでえ

 そないいうたかて ぼうず ひとりしか いてへんやんかいな

 おっちゃん ようみいな ぼくの ひざのうえ みてみいな


 どれ どれ みせてみいや

 ほら みてみいや ねこがいてるやろがな


 ふん ふん ほんまに いてるがな かわいらしいねこやな

 ぼく ばんになったら いつも こいつといっしょやねんで


 しゃけんど そのねこと ふたりだけやったら さびしいことないか

 そらあ さびしいけんど しゃあないねん


 なんで しゃあないねんな おかあちゃん どないしたんや まいばん まいばん

 そないなこといいな おっちゃん おれへんもん しゃあないやん


 まいばん まいばん ぼうず おいて でていって しゃあない かあちゃんやな

 おかあちゃん おこる おっちゃん ぼく きらいや もう こんといてんか

 

 そうか そうか かんにんやでえ おかあちゃんのわるぐち いうてなあ

 まあ ええわ かんにん したるわ


 ぼうず かしこうに そのねことあそんでるんやでえ


 いち の へや で 照る月も 二十ワットの蛍光灯も

 みんな みんな ぼうずに 笑いかけていた

 白い顔をした ぼうずの おかあちゃんを

 ジャンジャン街のうらどおりで みかけたとき

 なんにも いわずに 通りすごし

 いっぱいのみやの ノレン を くぐり

 水っぱなの塩っからいものをのどに味わいながら

 街の光が消えるまで のみつづけた

2013年5月15日水曜日

笑い話 狐と狸

 「タヌキは化かすらしいよ。」
 「タヌキ寝入りというくらいだからねー。」
 「キツネは騙すらしいよ。」
 「悪い奴だねー。」
 「もう油揚げやるのやめとこ。」

橋下徹大阪市長の何が問題なのか考えてみました

  橋本氏の従軍慰安婦発言において彼の何が問題なのかしっかりと捉えておく必要があると思いました。


 まず橋下氏の本音論には兵士と性の話をあからさまに持ち出して米軍司令官との話し合いの主導権を握って四つ相撲を逃れようという意識があったはずです。それが作戦通りにうまくいったノリで従軍慰安婦への発言にエスカレートしてしまったということではないでしょうか。


 橋下氏には油断して本性を露呈しながらも本人は決して認めないという強引なところがあります。そこが好意的にいえば魅力的でもあるのですが悪く言えば独善的過ぎるということになります。橋下氏の独善は当たると場外ホームランですが外れる三球三振の危険性が高いのが特徴です。


 彼の行動や発言はこのように公人のものとしては振幅が大きすぎて洗練されていないところが問題なのだと思います。

詩集から 死についての2編

 自分が死んでいく姿はまだ想像できませんが、こういう死に方もいいかなと思わせる2編の詩があります。

   雨  八木重吉

 雨のおとがきこえる
 雨がふってゐたのだ

 あのおとのようにそっと世のためにはたらいてゐよう
 雨があがるようにしづかに死んでゆこう


   黒板  高見 順

 病室の窓の
 白いカーテンに
 午後の陽がさして
 教室のようだ
 中学生の時分
 私の好きだった若い英語教師が
 黒板消しでチョークの字を
 きれいに消して
 リ-ダーを小脇に
 午後の陽を肩さきに受けて
 じゃ諸君と教室を出て行った
 ちょうどあのように
 私も人生を去りたい
 すべてをさっと消して
 じゃ諸君と言って

2013年5月14日火曜日

笑い話 お茶の水

 「御茶ノ水って何だ?」
 「大学の多い駅の名前だよ。」
 「昔はお茶の水が出たのかい?」
 「いや、水しか出なかったらしいよ。」

笑い話 セックスレス夫婦

 「お前と結婚して幸せだー。」
 「私もとっても。」
 「そろそろ可愛らしい子どもも欲しな~。」
 「今晩どう?」
 「まずマリア様に聞いてみようよ。」
 「じゃ寝よか。」

カラスのカー公とオヤジのバトル

 今朝は晴れ上がった真っ蒼な空を見て高揚してかウグイスが一生懸命に鳴いています。私の住む地域は緑が特別に多くて町の軽井沢と呼ばれているそうです。

 昔は自然薯の山とも言われて山菜を求めてやってくる風流人にも知られていた土地のようです。昨年までクーラーがなかった家も数軒ありました。そんな深い緑に誘われてウグイスをはじめいろいろな小鳥がやってきます。

 小鳥の恋の季節が始まってあちこちに愛の巣が立ちあがると私の活躍のシーズンとなります。1キロほど行ったところに大きな森があります。そこに生息するカラスたちが小鳥の産んだ生卵をねらってわざわざ出張して来ます。そのカラスのカー公たちを追い払うのが私の役目です。

 私は炊きたての温かいご飯のうえに新鮮な生卵をかち割って食べるのが大好きです。カー公たちの気持も分からないわけではないのですがオヤジとの激しいバトルが展開されます。これからもそんな長閑な光景が続くように祈っています。

2013年5月13日月曜日

詩集から これが人間なのです

  コレガ人間ナノデス    原 民喜


 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴランクダサイ

 肉体ガ恐ロシク膨張シ

 男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル

 オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ

 爛(タダ)レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ

 「助ケテクダサイ」

 ト カ細イ 静カナ言葉

 コレガ コレガ人間ナノデス

 人間ノ顔ナノデス


 「仮繃帯所にて」(5月8日ブログ)もそうですが読むのが辛いです。戦争の話はこの二編の詩でもう十分です。

笑い話 意地っ張り

 「オーイ!ここは一方通行だろ!」
 「何か言い方が一方的だなー。」
 「車の向き違うだろ!」
 「ヨーシ。Uターンしてバックで行くぞ。」

紳士の要件 吉永小百合さんとダンディズム

 紳士と言えばもちろん本場はイギリスです。そこですぐに思い出すのがイギリスにおける紳士教育の本流を実体験した英文学者池田潔氏の名著「自由と規律」です。


 ウィキペディアによれば裕福な家庭に生まれた池田潔氏は17歳で渡英してリースパブリックスクールを経て1926年にケンブリッジ大学を卒業しました。この書物には優雅そうな紳士の世界からは想像できないほど厳しい規律と生活環境のもとで育まれる気高い精神性が誠実かつ無駄のない筆致で見事に描かれています。


 この書物から紳士の概念的なところはわかりますが紳士の典型を探すとなると容易ではありません。皇室のみなさまが一番適格かとは思いますが、ユーモアも紳士の必須条件となると除外せざるを得ません。そこで淑女の典型から紳士を考える手を使ってみます。

 

 淑女の典型は国民的に吉永小百合さんで決まりでしょう。では彼女の男性版が紳士となるかといえばそうもいきません。淑女にはダンディズムの重みは期待できないからです。とすると紳士の本質はダンディズムにあると言えそうです。でもダンディズムって何でしょうか。

ドイツ週刊誌DER SPIEGEL  日本のジャーナリズムへの危惧

 ドイツの記者が書いた古い記事(2011年4月4日号、p.140)です。東電福島第一原発の水素爆発で危機的混乱状況の中で、ドイツの記者が日本のジャーナリズムや記者たちをどう見たかを知ることができます。


 人間の真価は逆境の中でこそ見えるところがあります。ジャーナリズムの存在価値も危機の時にこそ発揮されるべきものだと思います。そういう良識がこの記事の根底には感じられて敬意を払わずにはいられません。大雑把ですが内容を以下にまとめてみます。


 日本と違ってニューヨークやベルリンではジャーナリストは自らを戦士ないしはアジテーターだと自覚している。立花隆氏が1974年にロッキード事件を暴いたような調査報道は今や日本の本流にはない。日本の4大新聞そしてNHKテレビや有力テレビ局はどこもエスタブリッシュメントの一員として自認している。日本人はこれらのメディアをグーグル、フェイスブック、ツイッターの時代にも一番信頼しているようだ。福島の事故後にドイツでは25万人の反原発デモがあったが、その頃の日本ではデモの規模は千人にも満たなかった。メディアはその時代を映し出す鏡である。


 この記事は日本の民主主義を気遣ってか、みんなが群れの中に隠れて当たり障りなく生きている島国根性に疑問を呈しているようにも解釈できます。真のジャーナリズムのないところでは民主主義ほど危ういものはありません。

笑い話 ペンギン

 

 「ペンギンさんが可愛いと思う人!」

 「ハーイ!!!」

 「ペンギンさんは鳥でしょうか魚でしょうか?」

 「鳥!」

 「ペンギンさんは何を食べて生きていますか?」

 「魚!」

 「そうですね。ペンギンさんはヘビと同じ肉食動物です。」

 「エーッ!!!可愛くない!」

2013年5月12日日曜日

丸テーブルの思い出

 昨日は黒猫ディーンの餌やりの帰り道で古道具屋に立ち寄りました。大学キャンパスから駅までは3キロあります。そのお店はちょうど1キロ地点にありますのでいつも一休みする場所にしています。


 昨日入ったら直径1.2 メートルの見事な一枚板の重い丸テーブルがありました。お店のご主人に聞いたらバリ島で注文製作された貴重品だということでした。配達も気前よく無料でしたので早速購入を決めました。自宅に収まった丸テーブルを見てとにかく幸せでした。


 丸テーブルで思い出すのがフランス滞在時に度々夕食に招待してくれたおばさんとおばあちゃんです。お二人の食卓は立派な木製の丸テーブルでした。おばあちゃん宅では料理上手なお手伝いさんがとびっきり上等なローストビーフを焼いてくれました。おばさん宅では取れたての新鮮なムール貝をバケツ一杯茹でてくれました。


 私の大好きな美味しい料理もさることながら丸テーブルでの楽しい団欒はまさにフランスの生活そのものが凝縮されていました。そういう豊かな夕べの時間が日本の多くの家庭から消えてしまってからどのくらいになるでしょうか。

笑い話 綺麗なもの

 夫   「このバラ綺麗だねー!」

 妻   「綺麗なものって虫が付くのよ。」

 夫   「お前も相変わらず綺麗だねー。」

 妻   「あら、虫付いちゃってるのに...」

大好きな宮崎駿の「魔女の宅急便」 ジジとジジーの不思議な出会い

 私は年甲斐もなく宮崎駿の「魔女の宅急便」というアニメ作品が昔から大好きです。私の持っているDVDは奇妙にもドイツ語版です。ということはこの作品はヨーロッパでも人気を博しているのでしょう。


 主人公は可愛らしい魔女の血を引く少女キキです。キキは一人立ちするために旅に出て結局はパン屋さんの屋根裏部屋に寄宿します。私もドイツでは屋根裏部屋を借りて生活したことがあります。特に中庭のリンゴの白い花の咲く季節は素敵でした。屋根裏部屋はうす暗いながらも不思議に落ち着く空間です。


 そんな屋根裏部屋でひとり生活するキキの伴侶がジジという愛らしい黒猫です。キキはジジといつも一緒でいろいろな冒険生活をしながら成長していきます。不思議でならないのは私のようなジジーが大学キャンパスで人懐っこい黒猫ディーンと巡り合ったことです。魔女キキのいたずらでしょうか。

SCIENTIFIC AMERICAN メタンの地球温暖化への破壊的脅威

 古い資料を整理したらアメリカの月刊誌「SCIENTIFIC AMERICAN」(2009年12月号p.68)にロシアやカナダの凍土層に閉じ込められている大量のメタンの記事がありました。地球温暖化の影響で凍土が溶けてメタンを大気中に放出していて温暖化を加速させると書かれています。


 私の4月21日のブログでも触れましたが海底のメタンハイドレート採掘技術開発には巨額の研究費が集まってきています。海底のメタンハイドレートは確かに天然ガスの宝庫です。しかし地下にとじ込められている石油や天然ガスなどと比べて環境破壊力の次元が違います。石油・天然ガスが通常爆弾ならメタンハイドレートは核爆弾です。


 分かりやすく説明すれば天然ガスは缶詰に閉じ込められたものと同じです。海底のメタンハイドレートは道路にうっすらと張りつめたメタンの氷の状態といえます。そのメタンの氷に絶対にヒビを入れずに採集しなければなりません。もしヒビが入ったら地球環境は一巻の終わりです。


 SCIENTIFIC AMERICAN誌の結論はやはり私と同じで「触らないでそっとしておく」というものでした。いつかは地球文明消滅の引き金役になるでしょうが見守るしかありません。それが人間の能力の限界というものだと思います。それでも資源として手を付けようなどというのは人間の科学技術への過信でしかありません。

2013年5月11日土曜日

詩集から 友情と恋愛の境界はどこにあるのか?

 友情とは駆け引きや取引がまったくない無垢な関係にあるといえるかもしれませんが、では恋愛とはどう違うのかと問われると分からなくなってきます。そこで次の詩を紹介します。


     友達の喜び  武者小路実篤

 

 友達と話しして

 話がはずんで来て、

 二人の心が、

 ぴったり、ぴったり、あって、

 自づと涙ぐむ時、 

 人は何物かにふれるのだ。

 何物かに。


 ここで止まるのが友情で、これより先に行くと恋愛です。そう思いませんか?

詩人ライナー マリア リルケの詩は妖しいバラの香りがします

 今朝はクリスマスローズの根切りや株分けをしてあげました。鉢植えものは毎年手入れが必要なのでしょうが私は気まぐれでしかしません。私のしていることが正しいのかも保証の限りではありません。


 とにかく家に花が置いてあると優しい雰囲気が漂います。何も言わない花に手入れが行き届くというのは生活の余裕のあらわれでしょう。私はバラが大好きですが、手入れが難しいうえに良質な苗は数千円もしますから、冬のクリスマスローズで我慢しております。


 バラのことを思うと必ずライナー マリア リルケを思い出します。彼はオーストリア領プラハに生まれで、パリでは私の大好きな彫刻家ロダンとも親交がありました。日本の明治・大正時代を生きたヨーロッパの代表的詩人で、ドイツ語とフランス語で詩作をしました。


 彼は白血病で皮肉にもバラの棘の傷が原因で亡くなったと言われます。彼の人生は恋にあこがれ恋に生きて初心な青年のままのものでした。私はリルケのドイツ語の詩も訳しましたが、フランス語によるバラの詩が特に気に入っています。

 

 もし気が向いたらリルケのバラの詩を読んでみてください。きっとあのバラの甘い香りがするはずです。そしてエロスの世界も。

憲法改正を環境権で誘ってくるとは!

 政府は環境権を持ち出して憲法改正を前進させる考えです。しかし憲法に環境権を盛り込んでも環境影響評価や環境基準や被害者認定の例に見るように法律段階で骨抜きにされては何の役にも立ちません。


 憲法改正の真意を隠すために甘い言葉で国民に訴えかけようという魂胆が卑しく感じられます。特に環境破壊や環境汚染の被害者は子ども、お年寄りそして貧しい人が多くを占めるという実態からしても環境権で憲法改正をドレスアップなどというのは不謹慎だと思います。

2013年5月10日金曜日

笑い話 美容室にて

 「あらー、髪がスッキリ!」

 「ありがとうございます。」

 「2万円!高くない?」

 「ハイ、お勘定はカッキリ。」

詩集から 一個の人間とは

    一個の人間 武者小路実篤


 自分は一個の人間でありたい。

 誰にも利用されない

 誰にも頭をさげない

 一個の人間でありたい。

 他人を利用したり

 他人をいびつにしたりしない

 そのかわり自分もいびつにされない

 一個の人間でありたい


 自分の最も深い泉から

 最も新鮮な

 生命の泉をくみとる

 一個の人間でありたい。

 一個の人間は

 一個の人間でいゝのではないか

 一個の人間。


 独立人同志が

 愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる。

 それは実に美しいことだ。

 だが他人を利用して得をしようとするものは、いかに醜いか。

 その醜さを本当に知るものが一個の人間。

 

 武者小路実篤はむしろ恵まれた境遇にあった作家・詩人です。私は彼の後半生の生き方は好きではありませんが明治・大正・昭和を生きた日本を代表する文人と言えるでしょう。こういう人間の気高さを詩によって高らかに表現する時代もかつてあったということが懐かしく思われます。

黒猫ディーンからの忠告 国民背番号制でみーんな丸裸ですよ!

 5月9日に衆院本会議は国民背番号制のナンバー法案を可決しました。法案が成立すれば2016年1月から施行されて将来的には民間利用も解禁されるようです。


 この法案のうたい文句はまず行政事務の効率化や住民の便宜性などといわれます。しかし、私の理解では番号化とは住民の名前を固有名詞から普通名詞に置き換えるという意味になります。そういうことが行政の立場からなぜ有益なのでしょうか。


 まず考えられるのが1億2800万人を同姓同名も多い固有名詞でキッカリ並べるのは不可能ですが番号ならばスッキリ処理ができます。行政側は私たちの個人情報を誰でもいつでもどこでも瞬時に間違いなく取り出すことが可能になります。


 出自、学歴、家族歴、健康状態、病歴、学校成績、知能テストや性格テスト結果、思想、図書館利用歴、職歴、国勢調査情報、国民生活基礎調査情報、労働組合活動歴、NHK受診料支払い、財産、年収、海外渡航歴、同級生友人関係、指紋、転居歴、クレジットカード情報、パスモやSuica利用移動歴、ホテル旅館外泊歴、購読新聞名、投票歴、GPS移動歴、ケータイ通話歴、防犯カメラ情報等々がみーんな分かっちゃいます。


 国民背番号制はドラえもんの「何処でもドア」を行政に白紙委任するも同然です。黒猫ディーンに話したら政府にそんなに心を許していいニャンかなーといわれました。

笑い話 双子兄弟

 「次郎君、元気そうだね。」

 「ウン、ありがとう」

 「一郎君も元気?」

 「実は昨年に...」

  「ひとりでか?」

コミュニケーション力とは

 訪米中の韓国のパク クネ大統領がアメリカの国会で演説の栄誉を与えられました。パク クネ大統領の自信に満ちた話しぶりと議員の熱狂的な歓待シーンには驚きました。

 私たちがコミュニケーション力の重要性を言い出して久しいですが、コミュニケーション力とは何なのかという具体例を考えるとまったく思い浮かばなかったものです。しかし、昨日報道された韓国大統領のパフォーマンスを見てすっかり納得しました。

 米国の国会議員を説得した戦略の質と言葉の論理性の高さそして堂々とした演説のコンビネーションはまさに秀逸なコミュニケーション力の典型でした。

日本の言論の自由 絶対に「言ってはならないこと」がまだある

 安倍内閣は憲法改正のハードルを下げるためにまず憲法96条改正を7月の参院選挙で争点にしたいようです。自民党の石破茂幹事長は改正問題に触れて時代に合った憲法にしたいと語っています。


 私が改正論議でもっとも懸念するのは日本には戦前の残り火のように絶対に「言ってはならないこと」が今日でもまだあるという事実です。何を言っても命を取られることがなくなったら日本はすっかり変わるでしょう。そうすればきっと改正の必要もなくなるはずです。そこが問題なのです。


 安倍政権下ではその戦前の気味悪さが顕在化してきているような気がしてなりません。安倍首相がかつての日本の侵略を言葉として国会で絶対に認めようとしないのも「言ってはならないこと」と深く関係しているはずです。首相でさえそのことを恐れているのではないでしょうか。


 戦争を経験した人たちにはこの「言ってはならないこと」のある社会の恐ろしさが思い出されることでしょう。戦前の日本ではあのどう考えても無謀な戦争を「負けるぞ!止めろ!」と口に出すのは命を落とすことと同じでした。その時代性がまだ日本には残像ではなく実像としてハッキリと残っていることを、私たちは真正面から見つめなくてはなりません。


 靖国参拝や改憲派の国会議員のみなさん。憲法が時代に合わなくなったのではなくて、アメリカに押しつけられたと言い張って平和憲法に近づこうと努力を怠ってきたから、みなさんの方が憲法に合わなくなったのではありませんか。

2013年5月9日木曜日

高村光太郎 “智恵子は東京に空が無いといふ、...” の安達太良山(あだたらやま)を眺めて思ったこと

 あまりにも有名ではありますが高村光太郎の詩「あどけない話」をまず引用します。

    あどけない話 高村光太郎

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切っても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だという。
 あどけない空の話である。

 東京を車で北上して郡山市を過ぎて智恵子の生まれた二本松市に接近するにつれて安達太良山が左手に見えてきます。東電福島第一原発事故で放出された放射能が南に方向転換したのは安達太良山に行く手を阻まれたからだと考えられます。

 あの智恵子の言う東京には無い青い空の下では、豊かな福島の大地に放射能が降り注ぐとは想像だにできないのどかな世界が広がっていたはずです。皮肉ではありますが智恵子抄が出版された1941年頃は原爆や原発の設計図が固まってきた時期でした。

アメリカ週刊誌「TIME」の表紙を飾ったユニクロ 私たちは出世の奴隷になったのか?

 アメリカの週刊誌「TIME」(5月13日号)の表紙にユニクロが掲載されました。見出しは「CAN THIS VEST SAVE JAPAN?」でした。

 42~44ページのビジネス欄の記事内容はユニクロの先進的な商品開発力と日本的経営者としては異色の柳井 正社長についてのものです。1980年代の日本を代表するソニーの盛田昭夫氏に比類すべき新しい日本の経営者として評されています。

 ユニクロが炭素繊維などで世界的な開発力を有する繊維業界と共同して新しいファッションビジネスを創造したことを評価しています。この記事を読んで私が理解したことは、古い軽工業的な発想から脱却して洋服販売を日本の優秀な技術力と結びつけてファッションビジネスにした発想力に柳井氏の成功があったということです。

 記事には、日本の今日の経営者を表して自分の全人生を奴隷にして会社の出世階段を這い上がってきた人たちという一文がありました。また1960年代とは違ってメンツばかりを気にするようになったとも日本人を評しております。

 私にはユニクロのエネルギーがどう日本を変えることになるのか分かりません。しかし、私たちは「TIME」がいうような冒険心を失った卑屈な出世の奴隷になり下がってしまったのでしょうか。上ばかりを気にして黒猫ディーンたちを助ける人が一向に出てこない状況を考えると、そう言われても仕方がないかなとも思います。

東京都杉並区が静岡県南伊豆町に特養建設 「うば捨て山」化の懸念の声に反論

 東京都杉並区が南伊豆町に2016年開所を目指して特別養護老人ホームを計画中のようです。待機者が2000人に上り窮余の策といえるかもしれませんが、私は杉並区の計画に賛成です。

 私には定期的に老人ホームにお見舞いするまったく身寄りのないお年寄りがいます。かつての職場にいた人ですが組織の最高責任者の誤解から睨まれて誰も仕事関係の人間は来なくなりました。どれほどお世話になってもコロリと態度が変わる世間の冷たさをひしひしと感じます。

 杉並区の計画には「うば捨て山」の批判があるようです。私はお年寄りの介護に苦しむ家族の事情を考えれば一つの解決策かと考えます。一般的に言って週に複数回定期的に老人ホームの家族を訪れるケースは例外的です。夜間に入居者が亡くなられて家族に連絡を入れると怒鳴られることもあるようです。

 老人ホームでは職員への過酷な負担が災いして離職率が高いといわれます。家族がボランティアとしてもっと施設に協力できれば事態は改善されるのですが、入れてしまえばそれっきりというのが実態です。非難を覚悟でハッキリ言えば老人ホームは程度の差こそあれ事実上はうば捨て山状態とそれほど変わりません。

 われわれ年寄りは自立生活できなくなったら新しい環境でも溌剌と生きられる強さを持たねば若い世代に申し訳ないと思います。私は入居が不可避な健康状態になったら入れてもらえる施設があるのならどこにでも行く覚悟でいます。

北朝鮮ミサイル発射実験中止とダダをこねる日本

 北朝鮮のミサイル発射実験は一応は見送りとなったようです。私はすっかり発射されるものと思い込んでおりました。

 今回のミサイル騒動ではアメリカ、中国そして韓国は従来のような傍観者的な態度はすっかり影を潜めました。特にアメリカのケリー国務長官の関係諸国歴訪を契機に一気に各国の対応が本気度を増した感がありました。

 北朝鮮は張り子の虎の現有兵力ではとても韓国と渡り合うことはできませんから、何とか中国の威を借りて核実験強行までは辿り着きました。しかし、弾道ミサイルも欲しいとなって中国は堪忍袋の緒が切れたようです。中国銀行が北朝鮮の朝鮮貿易銀行と取引停止をしたことからも本気度が伺えます。

 韓国もパク クネ大統領になって明らかに対北朝鮮の姿勢が変わりました。優しいお母さん風の美人新大統領ですが戦争も辞さないと思わせる凄味が感じられます。アルゼンチンとのフォークランド戦争を戦ったサッチャー女史のアジア版登場と言えるかもしれません。

 こうして今回の北朝鮮ミサイル問題は自国の運命を懸けて真剣に話し合うアメリカ、中国そして韓国を結ぶ新しい重要な関係を誕生させました。右傾化に拍車をかけてダダをこねる日本は蚊帳の外で存在感が微塵も感じられないのが気がかりです。

2013年5月8日水曜日

人肌の温もりを知らぬ世代

 日本でも岩盤浴は体験できるようになりました。最近は黒猫ディーンも昼すがら心地よい岩盤浴を楽しんでいるのか私が行くと全身砂だらけで飛んできます。砂埃を掃ってやるのが大変です。

 ネコは飼い主の温もりが大好きです。我が家のネコは膝に乗って昼寝をむさぼるのが日課のようになっています。このネコの好きな人肌の温もりは動物にとっては大切な癒しの原点のような気がしてなりません。

 私がこのことで最近とくに気になるのがベビーカーの存在です。電車内で見ていると子どもは荷物でベビーカーは荷物車になっています。多くの親が子どもを抱っこする面倒を避けてベビーカーに載せたままケータイに夢中です。大泣きしても抱き上げようとせずに放っておいてへッチャラです。

 人肌の温もりのことを考えると私はあるシスターから聞いた言葉を必ず思い出します。人がどこかの痛みで苦しんでいたら温かくした掌をその上に優しく置いてあげなさいと言われました。単純な発想で信じられませんでしたが案外効果的なことを何度も経験して驚きました。

 私たちが人肌の心地よさを会得するのは両親に抱っこやおんぶをされた時ではないでしょうか。特に母親に背負われた時に伝わってくる温もりと安心感は子どもには最高の癒しでしょう。そのことがベビーカーの普及によって忘れ去られていくのかと思うと気になるのです。

笑い話 原発輸出

 首相   「我が国の世界一安全な原発をよろしく。」
 大統領   「津波や地震は大丈夫ですか?」
 首相   「もちろん大丈夫です。」
 大統領  「しかし、大変でしたね。」
 首相   「ご安心ください。世界一の地震大国日本の原発技術はカクが違います。」
 大統領  「素晴らしい。新しい核技術をお持ちなんですね!」

ネコが岩盤浴をせがみます

 安倍首相のトルコへの原発輸出で思い出したのが岩盤浴です。私がこの魅力を知ったのはイスタンブールに旅をした時でした。

 イスタンブールに来て街を探索していると男たちがたくさん出入りする建物を発見しました。出てくる客をつかまえて聞いてみると銭湯だということでした。好奇心に駆られて恐る恐る入ってみました。

 それは確かにトルコ風呂でしたが怪しい男女の出逢いがあるのではなくて豪華な大理石張りの風呂場と男性マッサージ師によるモミモミと巨大な岩盤浴のある施設でした。筋骨隆々の男性マッサージ師だけは尻込みしてパスしたら珍客を取り囲んで見ていた大勢の地元の人たちに大笑いされました。

 とにかく高い入場料の元を取るために岩盤浴だけはしっかり堪能させてもらいました。半径5メートルはあろうかと思われる丸い大理石の円筒盤のうえに腹ばいになると幸せな温もりがじわりと全身を包み込みました。

 このごろは日差しが強くなってきて庭石がしっかりと温もります。それを知ってか我が家のネコは外に出せとうるさくせがみます。庭石の上に腹ばいになったりごろりと寝がえりをうったりと岩盤浴しながら恍惚の眼差しで私を見つめます。人間にとってもネコにとっても春麗らかな幸せなひと時です。

詩集から 被爆して人間の姿でなくなった女学生の最期

今日の日本の社会を見つめるのに一度この詩を読んでみてください。

    仮繃帯所にて 峠 三吉

 あなたたち
 泣いても涙のでどころのない
 わめいても言葉になる唇のない
 もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
 あなたたち

 血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
 糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
 あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
 恥ずかしいところさえはじることをできなくされたあなたたちが
 ああみんなさきほどまでは愛らしい
 女学生だったことを
 だれがほんとうと思えよう

 焼け爛れたヒロシマの
 うす暗くゆらめく焔のなかから
 あなたでなくなったあなたたちが
 つぎつぎととび出し這い出し
 この墓地にたどりついて
 ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める

 何故こんな目に遭わねばならぬのか
 なぜこんなめにあわねばならぬのか
 何の為に
 なんのために
 そして自分がどんなすがたで
 にんげんから遠いものにされはてて
 しまっているかを知らない

 ただ思っている
 あなたたちはおもっている
 今朝がたまでの父を母を弟を妹を
 (いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
 そして眠り起きご飯をたべた家のことを
 (一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)
 おもっているおもっている
 つぎつぎとうごかなくなる同類のあいだにはさまって
 おもっている
 かって娘だった
 にんげんのむすめだった日を

注 ラカン頭:お釈迦さまや大仏様のような髪をした頭

2013年5月7日火曜日

国民栄誉賞松井秀喜選手 伊集院静氏の言うまっとうな人生

 NHKクローズアップ現代で国民栄誉賞松井秀喜選手を特集して作家伊集院静氏がコメントをしておりました。松井選手の生き方が率直に伝わってくるもので伊集院氏のコメントにも感心しました。ただ私の悪い癖でひとつ気になるところがありました。伊集院氏が「人生は辛い苦しいを味わうことがまっとうな人生」と語っていたことです。

 松井秀喜選手は引退の記者会見で「命を懸けてきたプレーができなくなって云々」と語ったようです。彼がそこまで打ち込めたのはきっと野球が好きで好きで仕方がなかったからではないでしょうか。しかしイチロー選手も野球が好きで仕方がないはずですが、辛いことの方が多いと語っていたように記憶しております。

 この辛いことが多いのに好きだという矛盾の糸を解くヒントは例えば好きな人との関係にあります。私たちは恋人に嫌われないようにするためにいろいろと無理をして辛い経験をします。松井選手も大好きな野球に嫌われたくなかったのです。だからきっと辛いことのほうが多かったはずですが命を懸けてこられたのでしょう。

 私は人生においては辛い苦しいは無い方がいいと思っています。しかし、恋人に対するように好きであれば辛い苦しいがあったとしてもあまり苦にはならないでしょう。松井選手、イチロー選手や伊集院氏のような人たちは、辛いを好きで覆ってしまう魔法の杖を上手に使える名人なのでしょうう。好きこそものの上手なれといいますが、彼らを見習って人生を上手に生きていきたいものです。

詩集から 老人ホーム

  退職して研究室から引き揚げてきた荷物を整理していたら好きな詩を集めたノートが見つかりました。引用する出典は分かりませんが作者ははっきりしていますのでここにひとつ紹介します。

   養老院にて 天野 忠

 老婆がふたり
 つけっ放しのテレビを見ている。 
 うっすら埃りをかぶって、
 西洋映画が写っている。
 あたたかそうな広い部屋の真ん中で
 若い夫が若い妻を抱いていた。
 ふさふさした捲毛の女の子が見上げていた
 長い長い接吻 ......。
 ーあんな具合にわたしゃ......
 一人の老婆が呟いた。
 -亭主に可愛がってもろたことなかった
 -ほんにわしら......あんな恥ずかしげなこと
 もう一人の老婆が云った。
 -いっぺんも、せなんだ
 そして、手持無沙汰に
 おやつに出た黒いあめを
 ネチネチしゃぶりはじめた。

 おそらく昭和30年代の詩だと思います。日本もこれが普通の時代でした。

キャリーバッグの中の黒猫ディーンたち

 私は黒猫ディーンたちが病気になるとキャリーケースに入れてキャンパスから徒歩10分ほどの獣医さんのところに連れて行きます。

 黒猫ディーンたちは捕えてケースに入れるのも大変ですが運ぶのもひと苦労です。怒っているのか不安からなのかギャーギャー ドサドサと大騒ぎをして困りものです。

 私の近隣に可愛い白ネコが飼われています。夕方になると飼い主のおじいちゃんと連れだって散歩に出かけるのが日課のようです。紐もかけないのに気ままな様子で後をついていく様子は微笑ましい限りです。

 随分と前のことですがネコが家族とピクニックをしている光景を目撃したことがあります。訊いてみると家族に連れだってピクニックをするのが大好きだということでした。ただしお出かけは自転車の前かごに乗せてもらっているようでした。

 私の夢はキャンパスに足を踏み入れると瞬殺で飛んでくる黒猫ディーンを連れだって懐かしい新緑眩しい表参道を散歩することです。

トルコへの原発売り込みについて

 安倍首相はトルコを訪問して原発輸出に踏み切ったようです。経済成長著しいトルコとしては原発開発の魅力には抗し切れないところがあるのでしょう。しかし、トルコは日照時間の多い国です。

 トルコにとっては太陽光発電を推進した方が長い目で見た場合には得策のような気がしてなりません。そこのところを十分に検証しないで初めから売らんかなの姿勢でいくのは親日国を大切にするという意味では気になります。今さえよければ後のことは知らないという商魂が感じられてなりません。

レディー ガガさんの「Born This Way」

  私のようなオヤジでもレディー ガガさんが世界的なミュージシャンのひとりであることくらいは知っております。現在ガガさんは股関節手術を受けて療養中のようで一刻も早い回復をお祈りします。

 私がガガさんでまず興味があるのは決して日本的にいう美人でも可愛いわけでもないことです。日本で人気を得るためには顔がよくなくてはなりません。そういう基準からするとガガさんは失礼ながら当てはまりません。それでもガガさんがスーパースターになったのはなぜでしょうか。

 まずはアメリカと日本のファンの年齢層の相違にありそうです。日本の音楽市場では十代の中学生や高校生が主な客層のようですが、アメリカでは二十代以上の年代の人たちがターゲットになるようです。十代半ばというのは自分の身体や顔立ちばかりが気になる時期ですから、日本では美女や美男しかセールスにならないのも分かる気がします。

 ガガさんの「You and I」のミュージックビデオを見ても少年少女向には露骨すぎるセクシーなシーンがあります。私はエイミー ワインハウス「You Know I'm No Good」をブログ(3月27日)で触れましたが少年少女には過激すぎる歌詞でした。これらをみてもアメリカでは20代以降の大人の世代が対象であることは明白です。

 話が長くなりました。ガガさんの「Born This Way」の歌詞で私が感心するのは悪魔の存在を否定していないことです。悪魔の存在にも一考を与える姿勢がない世界には無節操な独善しかないことを示唆しているように私は受け取りました。これもガガさんの「Born This Way」の聴き方のひとつではないでしょうか。

2013年5月6日月曜日

笑い話 代返

 「鈴木君」
 「ハーイ」
 「山田君」
 「ハーイ」
 「おかしいなー、返事がひとり多いぞ。」
 「先生も一回ズルしていいですよ!」

笑い話 ヤセ過ぎ男

 「ちゃんと筋肉付くのか?」
 「もちろんです。モリモリです。」
 「じゃ、目標は15キロだな。」
 「私どものジムは返金もします。」
 「書いてあったメニューってどんなだ?」
 「私どもが心を込めて作ったメニューでエクササイズを。」
 「そうか、エクササイズって美味しいか?」

NHK朝ドラ「あまちゃん」のヤケ酒

 このところNHKへの疑問をぶつけてばかりいてNHKさんごめんなさい。ちょうど朝ドラをやっていたので「あまちゃん」を見ました。

 今日4月5日の放映では女性がいわばヤケ酒を飲みながら愚痴っぽく語る場面がありました。お酒はドラッグと同じで飲むときの気分が結果を大きく左右します。愚痴るためのお酒は決して良いものではなくて必ず深酒で終わります。

 そういうヤケ酒場面がまだドラマに出てくるのを見て驚きました。芸能界の感覚からすると何でもないことかも知れませんが、脚本が安易に流れることなくもっと別の表現の仕方があっても良かったのではないでしょうか。

 お年寄りや女性のアルコール問題が深刻化するなかではもっと楽しく節度ある飲み方を啓蒙したいところです。

ネコはカラスと同じで駆除してしまえ!それでいいのだろうか?

 私は野良ネコはカラスと同じだから割り切って駆除してしまえとよく言われます。果たしてネコはカラスと同じ存在なのでしょうか。

 カラスは益鳥ではありません。ただ山鳩や小鳥が増え過ぎないように生態系の維持には重要な存在であるとは言えますが、人間との積極的な関わり合いはありません。

 ネコもやはり益獣ではありません。今日ペットとしては愛されていますが、ペットも捨てられてしまえばゴミと同じで処分されても仕方がないようにも思われます。では保護する理由はどこにあるのでしょうか。

 一つの理由はネコは人間がしっかりと管理して避妊や去勢の手術を施せば増殖しません。一方でカラスの繁殖を抑えるには駆除しか方法がありません。つまりカラスの駆除は繁殖を抑えるためであり、ネコを抹殺する駆除とはまったく意味合いが違います。

 次にカラスは木の実などを食べながらある程度は自然界で生存が可能です。しかし家ネコは肉食性ですから放置されれば生存不可能です。家ネコは古今東西何処を見回しても間違いなく飼育という人間の保護のもとで今日まで生き続けてきました。

 このような理由から私はネコはカラスとは違って保護が必要であると思っています。

2013年5月5日日曜日

笑い話 カーキチ

 「車は絶対にマニュアルだよ。」
 「しかし、面倒だぜ。」
 「出足が全然違うぜ!」
 「お前、最近そんなに忙しいのか?」

文科省政務官義家弘介氏の勘違い 道徳は教えられるものなのか?

 フランスの国旗のトリコロールではありませんが、自由・平等・博愛に結びつくあらゆる普遍的価値観の総体が今日的な道徳ではないかと私は思います。ですから私はグローバル化は今日的な道徳に近づくための道標であると考えています。

 ところが文教政務官義家弘介氏の話(NHK日曜討論)を聞いていると、フランス週刊誌Le Nouvel Observateur のいう家族・伝統・愛国に基づく価値観のことを道徳と語っているような印象を受けました。

 義家氏は、かつての修身は批判されるものではないとか、おじいちゃんおばあちゃんがしてきたことを大切にするとか語っておりました。道徳を説明する表現が感覚的かつ直感的過ぎて推敲を重ねた結果のものでないことは明白でした。道徳についてあまり深く考えていないようです。

 今日的な道徳を語るなら、戦前の道徳が依拠していた家族・伝統・愛国に固執してグローバル化の波を単なる現象とする偏狭な見方ではなくて、グローバル化は延々と続いてきた人類の貴重な営みの必然的な帰結であることを理解できる能力が不可欠です。

 ではこの能力は教えられるのかといえば結論はすでに見えています。教えられません。見方や考え方とは違って能力は教えるものではなくて養われるものなのですから。ならば道徳も教えられるわけがありません。失礼ですが文科省政務官義家氏にはこの視点が完全に欠落しています。

 義家氏らが拙速に道徳を教科に格上げする前に、すべてを振り出しに戻してもっと議論を深める必要性を痛切に感じました。このまま彼らに任せていたらこれからの若い世代が可哀想です。

笑い話 膏薬(こうやく)

 首相  「みなさん、年金制度は絶対に崩壊させません。」
 年寄り 「しかし、税収は減ってるぞ。」
 首相  「はい、痛し痒しです。でも公約します。」
 年寄り 「何でここで膏薬なんだ!」
 首相  「みんな公約しています。」
 年寄り 「政治家はそんなに肩が凝るのか?」

私見:義家弘介さん、八木秀次さん、失礼ですがあなた方は勘違いしておられます!

  私は軽蔑的で下品な言葉を私人に向けて絶対に発しないようにしています。しかし、義家さんや八木さんは教育行政の要職にある人たちですからはっきり言います。

 あなた方は大きな勘違いをしておられます。NHK「日曜討論」を見てそう思いました。その理由は自分の適性がまったく分かっていないからです。お二人のような立派な大人になれば普通なら自分の得手不得手くらい分かっているはずです。

 あなた方が自信に満ち溢れている表情を見ていて恐ろしくなりました。独善的な教育観や道徳観をかざして日本の教育制度を変革しよう自信満々です。八木さんは道徳教育を「強化する」と本音を口にして慌てて「充実する」と言い逃れをしていました。

 政府の要職にある義家さん、そして大学教員の八木さん。一緒になって自分たちの教育観を英語の論文にしたためて世界の反応を問うてみてください。お二人が安倍政権におもねる単なるブリッ子ではなくて日本の教育改革に携わる適性があることを証明してください。未来のある子どもたちのために是非お願いします。

笑い話 ソムリエ

  初めてのキス

 「愛してる。」
 「ワタシも。」
 「................」
 「これが18歳の味か!」

2013年5月4日土曜日

水田地帯にカエルがゲコゲコ鳴いていました

 田植えの終わった水田地帯が暗くなるとカエルが一斉にゲコゲコと合唱しておりました。都会人にしてみるとうるさい騒音といわれかねませんが、あの鳴き声を聞いていると心を癒されます。

 私はカエルの研究家ではありませんのでいったい彼らは何を思って鳴いているのか不思議で仕方ありません。みんな同じような鳴き方ですからひょっとすると自分のテリトリーを知らせる合図かもしれません。

 カエルの鳴き声で気になるのは田植えが終わって農薬が大量に散布される時期になると静かになってしまうことです。農薬のせいかどうか全く分かりませんが気になります。

 ところで休耕田を借り受けて稲作をしている若者に話しかけてみました。15町歩ほど作付をしているようですが一反で10万円くらいの収入だそうです。4月から9月までの一シーズンで150万円にしかなりません。これをどう取るかは人それぞれでしょう。最大で30町歩くらいは管理できるそうです。

笑い話 便秘

 「ウーン、出ない。」
 「何?」
 「ウーーン、出ない。」
 「バカヤロー、早く出ろ!」
 「ナニー、オレに言うこたねーだろ!」
 「クソー!」

男はヤセ我慢だ!

 テレビ東京「世界で働くお父さん!」は海外に単身赴任して頑張るお父さんを子どもたちが予告なく突然訪問する企画でした。

 海外赴任を言われれば家族の生活を支えるためには行かざるをえないのが世の習いと言えましょう。子どもの教育のことを考えるとやはり単身赴任という結論になります。それが本当に残された妻や子どもの成長にとって良いことなのかどうかと問われると答えは難しいところです。

 気持としては特に育ち盛りの子どもたちと離れて過ごすのはお父さんにとっては本当は辛いものがあるはずです。私たちはそのことが痛いほど分かるからこそお父さんと子どもの劇的な再会の場面を見て感動するのでしょう。

 何といっても男は「痩せ我慢」でいくしかありません。何でもそう割り切って居直ってしまうと案外すっきりするものです。私は番組を見ていて自分の人生のモットーを再確認しました。

2013年5月3日金曜日

猪瀬都知事の敵味方の論理

  猪瀬都知事が2020年のオリンピック東京招致活動における不適切発言について公式に謝罪した後、ツイッターに「敵か味方かわかった」というような書き込みをしたようです。

 自分と意見を異にしたり、自分を批判する人たちをイジメ冷遇する気持がどうしても理解できませんでしたが、老年人口の仲間入りをしたこの年齢でやっと分かりました。

 私たちは喧嘩をするとすぐにプイッと横を向いてしまいます。その後は相手の視線を避けようとします。結局は自分に敬礼をしてくれない人間はみんな敵とみなしてノーサイドになれない幼稚な人格からきています。相手を敵か味方かの色分けしかできない古い考えの人たちはそろそろ退場してください。

笑い話 首脳会談

 大統領   「我が国へようこそ。」
 首相     「ご招待いただき光栄です。」
 大統領   「世界平和のために頑張りましょう。」
 首相     「世界平和のために今後もよろしく。」
 大統領   「もちろんです。」
 首相     「お互いに軍備拡張をしっかりと。」

憲法改正論で日本の有力紙の色分け

 5月3日の憲法記念日を前にしてメジャーな読売新聞、朝日新聞、毎日新聞の5月2日朝刊を見てみました。各紙の立場がはっきりしていてとても興味が湧きました。

               第一面大見出し   
 読売新聞  憲法考 憲法第96条 自・維・み9割超改正賛成(本社国会議員アンケート)
 朝日新聞  96条改正し改憲手続き緩和 反対54%賛成38%(本社世論調査)
 毎日新聞  富士山 世界に影響 世界遺産登録へ

 憲法や原発について現政権と意見の近い読売新聞は憲法改正派をアンケートの対象にして意識的に改正前向きの論調になっています。一方で慎重派と見られる朝日新聞は世論調査で国民の間には反対意見も根強いことを伝えています。毎日新聞は富士山をテーマにして巧妙に憲法改正問題を避けています。

 こうしてみると新聞を一紙だけしか読まないでいると知らず知らずのうちにその新聞色に染まっていく危険性があることがよく分かります。私は学生には図書館を利用して見出しだけでもいいから必ず複数の新聞を手にしてできれば外国紙にも目を通すように指導してきました。

近頃の外国人の日本観の変化

 昨日読んだフランス週刊誌 Le Nouvel Observateur (4月4日号 p.31)に私には非常に気になる記事が掲載されていました。

 大見出しは「日本:みんな右へ倣え!」でした。小見出しは“ 家族、伝統、愛国 ” をベースにした憲法か?となっていました。

 日本のマスコミでは絶対に触れられないある新興右翼グル-プを取材しながら、近頃の日本の変化についていけない外国人の戸惑いが正直に表現されていました。

 伝説的な礼節と洗練された慎みの日本文化からこのような現実がどうして生まれてくるのだろうか?と不安げに問いかけながら現状分析を試みております。

 東京新聞5月3日朝刊「こちら特報部」には、駅前のチラシ配りで警察官3人に市の道路だから名前を書けと要求された話が載っておりました。市道は市が「市民のため」に管理する公道です。それが強い取り締まり意識にすり替わってしまっている現状に日本人の私でさえ不安になりました。

就活対策 フランス週刊誌の「外国で勉強して働く」から

 黒猫ディーンたちにエサをあげてしばらく抱っこしてやってから大学図書館でアメリカ、イギリス、フランス、ドイツの雑誌や新聞に一通り目を通してみました。私の関心を引いたのがフランス週刊誌 Le Nouvel Observateur 4月4日号の「外国で勉強して働く」でした。

 全体をまとめるために表現はそのままではありませんがご容赦ください。

 学歴がものを言うフランスを離れて海外に活路を見出す若者が増加している。海外では学歴よりも気力と意欲が重要だとわかる。またフランスでは人の能力を活かして報酬で報いる仕組みがよくない。研修制度などを利用して外国を経験すれば自信になる。仕事で人気の高い国は1位スイス、2位イギリス、3位アメリカ、4位ベルギー、5位ドイツ等である(注 アジアでは唯一中国が11位)。留学先としてはベルギー、イギリス、アメリカ、スイス、カナダ(ケベック州)そしてドイツが代表的である。仕事に有利な専門分野は数学、生物学、物理学に始まり情報処理、ウエブ、データ処理、バイオ等がある。

 日本の若者も同じようなことを感じている人が多いのではないでしょうか。ぜひ大学在学中に海外ひとり旅で自立の翼を生やしてみたらいかがでしょう。自立心なき就活対策はあり得ません。

 余談ですがこの記事で気になったのがフランスの若者の関心がもはや日本にまったく向いていないことです。これは特に現政権下で世界的なトレンドになってきているとすれば日本の若者にはとても厳しいものがあります。

2013年5月2日木曜日

就活対策 英語力の重要性

 最近では楽天やユニクロなどのように人材獲得に英語力を重視する企業が増加してきました。特にサービス業の分野では顕著な現象ではないでしょうか。

 理系出身者の場合にはまだ技能的な評価は絶対に欠かせませんから英語力があればよしとばかりは言えませんが、文系出身者にはもはや英語力は不可欠な能力ではないでしょうか。

 例えば英語とは無関係そうな弁護士業でさえ英語力がなくても済む時代ではなくなってきています。いろいろと実例を見ていると今日の過当競争の時代には国際業務も扱える弁護士の方がはるかに有利です。

 ただこれから英語力のある人が普通になってくるとそれだけでは評価されない日がやってくるのもそう遠くはないでしょう。そういう時代の備えとして是非とも外国のひとり旅を推奨します。特に自分の好きな国があったらとことん付き合ってその国のスペシャリストになるのも魅力的です。

 私の友人にある国と過去20年間地道に付き合ってきた結果として100億円規模の事業が舞い込んできた人があります。特殊なケースかもしれませんが示唆に富んだ実例です。

笑い話 第1子誕生

 
    「オギャー、オギャー!」
夫  「オオッ、やっと初子誕生だ!」
母  「よかったー!」
父  「初孫だ!」
妻  「今度は楽だったー!」

笑い話 視力検査

 首相 「右!!!」
 首相 「上!!」
 首相 「下!」
 首相 「?」
 医者 「先生、左です。」
 首相 「俺は嫌いだ。」

笑い話 合コン

 「合コンしてみたいなー。」
 「オッ、女の子足りないから来ないか?」
 「アタシ行く!でもボクでいいのかなー?」

世界の民間出身皇太子妃

 TBS テレビの「みのもんた朝ズバ!」で世界の民間出身の皇太子妃について放映しておりました。離婚歴あり、外国籍あり、未婚の母あり、麻薬経験ありと様々な出身の皇太子妃が紹介されていました。

 私たち一般人の家庭でも結婚相手となると躊躇しかねない人たちが皇太子妃として温かく迎え入れられていることを知ってとても新鮮な清々しい気持になりました。また王室にも普通の社会の普通の日常性があるとともに、それを温かく見守っている優しい国民がいることに感動しました。

 日本の週刊誌の皇室関係の記事には売らんがためか露骨な民間出身批判と受け取れる節度のないものが見受けられます。別世界の存在であった戦前の皇室のイメージに固執する心が私たちにあるのなら考え直す必要がありそうです。

 政府首脳が先日の政府式典で天皇陛下万歳を三唱したと報道されていますが、朝ズバで紹介されたような進歩的な国々の人々の目には異様な光景に映るはずです。朝ズバを見て皇室のイメージひいては日本のイメージを損ねかねない政府首脳の時代ズレした感覚が残念でなりません。

日本にいる移住者に温かい目を!

 日本テレビ「笑ってコラえて」で今から50年前に大西洋の楽園カナリア諸島に住み着いた2人の日本人を取材して特集を組んでいました。

 そのひとりが外国に住む以上は何処で死んでもいいという覚悟がなければできないと語っておりました。海外移住とはそういう重いもので何処でも人間みな同じという進歩的な意識が備わっていなければできない相談です。

 これからの日本は海外からの移住者を受け入れざるを得なくなるでしょう。そうなると彼らが日本で死ぬ覚悟ができなければなりません。知らない日本に憧れて来ても実際に居ついてくれるかは別問題です。ここが一朝一夕に海外移住者を呼び込むことができない難しさです。

 ミュージカル「ミスサイゴン」にベッドの上で死にたいなら戦(いくさ)が始まったらトットと逃げちまえという台詞があったと思います。日本に移住してきた人たちにトットと逃げていかれないように温かく見守ってあげたいものです。

2013年5月1日水曜日

皇太子ご夫妻よかったですね

 オランダにおいでになられた皇太子ご夫妻はお揃いで公務にお出になられました。およそ10年ぶりの海外公務のようですが無事に済まされてよかったです。

 私たちは皇室を特別な感情で見ておりますが皇室の宮様も人間です、というと非難されそうな雰囲気がまだあるのが日本です。皇室は別世界の存在でなければならないという私たちの身構えた視線が戦後生まれの皇太子ご夫妻にとって負担になることもあるでしょう。

 オランダのように私たちがまず皇太子ご夫妻を自然に受容できるようになりたいとテレビで幸せそうなご夫妻の姿を拝見して痛切に感じました。

福島原発事故サイトに出張!黒猫ディーンからの伝言です

 5月1日付東京新聞朝刊「ふくしま作業員日誌」に福島の原発事故現場でネズミが多数繁殖していろいろと安全上の支障をきたしているようです。男ばかりの事故現場では残飯の処理がいい加減でネズミの餌となっているのでしょう。

 私の世話する黒猫ディーンの住むキャンパスにはネズミは一匹も見かけません。二万人いてコンビニが二つあり弁当販売所も多数あるのにエライもんでしょ!そこで黒猫ディーンにこの件について相談してみました。黒猫ディーンの返事は次のようなものでした。

 ボクたちは大学のいわば「死ね」命令にも屈せず一年半以上も元気に抵抗生活を続けています。学生や一部の教職員の嫌がらせなんか慣れっこになりました。いつも来てくれる愛日長アマガエルさんの説明では原発サイトで厄介なのは放射能らしいですね。

 ボクたちはいくら寝て暮らしているとはいえ健康を害してしまっては抵抗生活には耐えられません。ですから短期出張なら行きます。一週間もあればネズミ騒動など根こそぎ解決して見せます。

 そのかわりボクたちの必要経費である食事代、避妊去勢手術代、ワクチン代そして時々の入院費相当の報酬はごっそりいただきます。兆単位になろう除染費用に比べればボクらの除鼠代なんてニャンともニャイでしょ。 

「天皇陛下万歳」のことを聞かれて口をつぐむ自民党議員 マスコミの奮起を!

 政府が開いた「主権回復の日」の式典で、会場からの「天皇陛下万歳」につられるように後に続いた安倍首相、衆参院議長、最高裁長官そして多数の自民党議員はみな沈黙しているようです。

 NHKをはじめテレビはこの様子を一切報道しておりません。様々な意味でインパクトのある場面であり真剣に議論すべき行為であるのにどこも映像を流さないとは腑に落ちません。

 先頃の猪瀬東京都知事はイスラム諸国発言でザニューヨークタイムズ紙の鋭い追及にあってとうとう煮え切らぬ表現で形式的に謝罪をしました。

 日本の政治家はマスコミを子羊のように子ども扱いしてきましたが、ゆるぎない国民主権の確立のためには健全なマスコミの存在は不可欠なものです。国家主権のにおいがますます濃くなってきた気味悪い昨今の日本であるからこそマスコミに奮起を促します。ジャーナリズムの復権を期待します。

笑い話 宿題

 先生     「それでは宿題を言います。」

 生徒     「ワイワイガヤガヤ」

 先生     「お静かに!」

 生徒     「ワイワイガヤガヤ」

 ガキ大将  「オイ!お前らよく聞けよ!」

 生徒     「シーーーン」

 ガキ大将  「俺じゃ分からんだろ。」