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2013年5月5日日曜日

文科省政務官義家弘介氏の勘違い 道徳は教えられるものなのか?

 フランスの国旗のトリコロールではありませんが、自由・平等・博愛に結びつくあらゆる普遍的価値観の総体が今日的な道徳ではないかと私は思います。ですから私はグローバル化は今日的な道徳に近づくための道標であると考えています。

 ところが文教政務官義家弘介氏の話(NHK日曜討論)を聞いていると、フランス週刊誌Le Nouvel Observateur のいう家族・伝統・愛国に基づく価値観のことを道徳と語っているような印象を受けました。

 義家氏は、かつての修身は批判されるものではないとか、おじいちゃんおばあちゃんがしてきたことを大切にするとか語っておりました。道徳を説明する表現が感覚的かつ直感的過ぎて推敲を重ねた結果のものでないことは明白でした。道徳についてあまり深く考えていないようです。

 今日的な道徳を語るなら、戦前の道徳が依拠していた家族・伝統・愛国に固執してグローバル化の波を単なる現象とする偏狭な見方ではなくて、グローバル化は延々と続いてきた人類の貴重な営みの必然的な帰結であることを理解できる能力が不可欠です。

 ではこの能力は教えられるのかといえば結論はすでに見えています。教えられません。見方や考え方とは違って能力は教えるものではなくて養われるものなのですから。ならば道徳も教えられるわけがありません。失礼ですが文科省政務官義家氏にはこの視点が完全に欠落しています。

 義家氏らが拙速に道徳を教科に格上げする前に、すべてを振り出しに戻してもっと議論を深める必要性を痛切に感じました。このまま彼らに任せていたらこれからの若い世代が可哀想です。