小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2013年5月13日月曜日

ドイツ週刊誌DER SPIEGEL  日本のジャーナリズムへの危惧

 ドイツの記者が書いた古い記事(2011年4月4日号、p.140)です。東電福島第一原発の水素爆発で危機的混乱状況の中で、ドイツの記者が日本のジャーナリズムや記者たちをどう見たかを知ることができます。


 人間の真価は逆境の中でこそ見えるところがあります。ジャーナリズムの存在価値も危機の時にこそ発揮されるべきものだと思います。そういう良識がこの記事の根底には感じられて敬意を払わずにはいられません。大雑把ですが内容を以下にまとめてみます。


 日本と違ってニューヨークやベルリンではジャーナリストは自らを戦士ないしはアジテーターだと自覚している。立花隆氏が1974年にロッキード事件を暴いたような調査報道は今や日本の本流にはない。日本の4大新聞そしてNHKテレビや有力テレビ局はどこもエスタブリッシュメントの一員として自認している。日本人はこれらのメディアをグーグル、フェイスブック、ツイッターの時代にも一番信頼しているようだ。福島の事故後にドイツでは25万人の反原発デモがあったが、その頃の日本ではデモの規模は千人にも満たなかった。メディアはその時代を映し出す鏡である。


 この記事は日本の民主主義を気遣ってか、みんなが群れの中に隠れて当たり障りなく生きている島国根性に疑問を呈しているようにも解釈できます。真のジャーナリズムのないところでは民主主義ほど危ういものはありません。