かつて国会答弁で官僚が自分たちは性善説の立場であると答えていたのを覚えています。性善説とは基本的に人間は悪いことをしないという考え方で孟子の説に由来するようです。日本の場合は〇カ性善説です。労働基準法があっても過労死・過労自殺が絶えないことを見ても明らかです。
性善説はお役人にとってはとにかく都合のいい論理です。法律は総論的なことを提示しておけばその制度が実際には穴ぼこだらけでも一向に構わないことになります。なぜならば行政は人の善意に依存して不都合なことは普通は起きないという前提ですから、もし起こったとしても必要であれば後で対応すればいいからです。
法律には悪いことが起きないように予防的な仕組みが準備されていなければならないはずです。人は悪いことをするに違いないという前提に立って前もって予防線を張っておくのが常識だと思うのですが、これではどう考えても性悪説になります。そんな面倒なことはできれば御免こうむりたいと考えるならば性善説で逃げて事後処理で済ますのが一番賢明で楽です。
また日本の産業界には業界という特殊な世界がいっぱいあります。この業界は行政の作ってくれた規制に守られてメンバーがお互いに寄り添って生きられる利権の巣窟のような世界です。ここには自由競争という発想はありません。ですからいろいろな規制があってお互いががんじがらめに縛り付けられています。
本来ならば性悪説にあるべき行政が極端な性善説に立って大切な規制もザル状態にあり、逆に自由競争にあるべき業界が性悪説を装って抜け駆けを許さないようにいっぱい規制を作っています。これが高度経済成長時代には効果を発揮した護送船団方式の本性です。
今日でも産業界は自由競争によって独創性と創造力によって生き抜いていかねばならないのに性悪説を維持して不必要な規制の山となっています。行政は最少限の性悪説の立場に変身して規制緩和を推進すべきなのに時代の変化を観て見ぬふりのだんまりを決め込んでいます。
日本はまた戻ってきた「あべこべ社会」にすっかり安住するつもりのようで一向に脱出する気配を見せません。行政や業界は覚悟を持ってエネルギーの使い道を変えてもらわないと日本が本格的な経済の成長過程にもどるのは難しいと思います。
世界を見渡してもおそらく死ぬまで働くような勤勉な国民は他にはいないでしょう。その希有な資源である国民のエネルギーが行政の性善説そして業界の性悪説という言い訳によって浪費されていることが残念でたまりません。