小室圭さんをシッタベンレイ
ノーと言って金満世界を変えよう
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2013年3月14日木曜日
第三の言語インターネットと自由社会アメリカの強さ
最初のものはうまくまとまっていませんでしたので書き直しました。失礼しました。下記の内容が正式なものです。
ネット社会では思わぬ写真や映像が投稿されて大騒ぎになるようです。これはITビッグバン真っただ中にありがちな小さな混乱の一コマに過ぎず、インターネットを根底から否定する理由にはなりません。
インターネットは私たちの想像力の及ばない可能性を秘めていて「第三の言語」に相当すると私は考えています。第一の言語が話し言葉です。第二の言語が書き言葉です。そして第三の言語のインターネットはハードとしての言語の限界性を越えたまったく新しいツールとしての言語です。
話し言葉や書き言葉の可能性は個人の言語能力などに大きく依存するものでした。誰もがノーベル賞作家になれるわけでもなければメジャーなテレビ局のように即時に情報発信はできませんでした。しかし、これまで特定の人たちの特権であった高度な言語能力や巨大な設備などなくても私たちはいつでもどこでも世界と繋がることができるようになりました。
こうして考えてみると私たちはノーベル賞作家や巨大マスメディアとなかば同等な発信力を与えられたことになります。私たちは個人的能力依存社会の呪縛から完全に解放されて自由な情報社会を手中にしたと言えます。ですからインターネット社会の本質はまさに自由にあると考えることができます。
そうした意味で世界でもっとも適応できているのがアメリカでしょう。その証拠にインターネットビジネスを代表するマイクロソフト、グーグル、アップル、フェイスブックなど次々に巨大企業を輩出しているのはアメリカしかないからです。やはり何と言っても自由の象徴はアメリカということでしょう。
これからの国家はアメリカのように自由でなければ発展できないのは火を見るより明らかです。そしてインターネットの可能性はIT製品のハードやソフトにこだわっていては享受できず、社会として自由でなくてはならないのですから構造改革の進まない物作り国家には頭の痛いことです。