甲子園では地元外から優秀な選手を集めていわば外人部隊で固めたチームが優勝するのが常識になっています。それでも出場校の地元は盛り上がります。時には何台もバスを連ねて地元の人たちが応援に駆け付けるというのも珍しくありません。しかし何となく割り切れないところがあります。
こういう少し奇妙な事態も高校野球の水準を高めるためには仕方がないという主張があるはずです。もっともな話ですがこの弊害について少し考えてみたいと思います。ここでは下記の二つの事実を忘れないことがキーポイントになります。
1)選手の能力には最大値があり無限ではない。
2)選手の酷使は選手生命を縮める。
どのようにしたら選手を最大能力で活躍させることができるかは不明です。次に選手の最大能力や酷使の度合いを知る方法も不明ですから、これらを予め知ることできません。皮肉なことですがこれらは結果から判断するしかありません。
つまり高校野球で常勝チームを作るには過酷な練習を課して選手が壊れるのも覚悟して結果を求め続けていくだけでなく、地元外から優秀な選手をスカウトしてチーム力をかさ上げすることも必要になります。これでは高校間の競争は激しくなる一方でしょう。
このような環境下では有能な選手がムリな練習がたたってケガで野球を続けられなくなることも珍しくありません。それでも勝利のために選手を使い捨てにする高校野球の非情な消費構造に変わる気配はありません。
今日の選手が消費財のように扱われる弊害にブレーキを掛けるため地元選手オンリーという条件を付けるのはどうでしょう。そうすればアメリカのように少しはおおらかに考えられるようになってもっと長い目で選手の成長を見守られるようになっていくはずです。