日本が中国にGDPで追い抜かれてからは一段と中国バッシングが激しくなってきたように思われます。これはかつての欧米諸国の日本バッシウングと共通点があるような気がして少し考えてみました。
私は1980年代後半の日本のバブル期にそっとあるアメリカ人に言われたことがあります。産業革命以来今日までコーカサス系国家以外で世界経済を牽引した国はなかった。日本はもしかしたら初めて世界一の経済大国になるかもしれないと。そういう雰囲気の見方があった時代でした。
こうした日本に対する率直な分析は大勢からすれば少数派だったかもしれません。一般の市民には本心ではないにしても心のどこかで日本の転落を期待しているところがあっても不思議ではないと感じてもいました。
今日の黄砂やPM2.5報道に接すると、かつての欧米先進国の人たちの微妙な心の揺れと同じようなものが私たちの心の片隅に潜んでいそうな気がしてなりません。他人の不幸は甘い蜜の味とはよく言ったものです。
しかしよく考えてみると世界経済はどこかの国家ないしは連合体が主導的な役割を果たしてくれなければお金がうまく回らないのも事実です。それがたとえ自分が好意を持てない国であったとしても事実は率直に受け入れて協力しあっていかなければならない時代に来ています。
それこそが今日のグローバル化社会の本質であり、もはや帝国主義は成り立ちえない世界に私たちは生きていることの証でもあります。安易に中国バッシングに心を寄せるのではなくて、こうしたもう少しグローバルな世界観を持って中国問題を捉えてみたいと思います。