靖国神社の春の例大祭の最終日4月23日に国会議員168人による大挙参拝を機に愛国心について考えてみました。
戦時はともかく平時における愛国心の表現の仕方にはいろいろあるでしょうが、政府が特に熱心なのが式典における君が代斉唱と国旗掲揚です。厳しい統制に反発する声も根強くて東京都では君が代斉唱時に不起立の教員の処分が訴訟にまでなっています。
さて日本の愛国心の支柱は何と言っても靖国神社の存在です。愛国は靖国に始まり靖国に終わると言っても過言ではないでしょう。その靖国神社に上官が軍靴を履いたまま突然土足で入り込んできた感があるのが1978年10月17日のA級戦犯合祀です。
満20歳にもみたない将来ある若者に死ねと厳命し人たちと、有無を言わさぬ命令のもとに戦地に散った若い純真な兵士たちとを、ひとくくりにする考え方には私はとても納得できません。強引な合祀の背景には国民軽視の傲慢な姿勢が感じられてなりません。
政府が愛国心を声高に唱えたいならば旧戦地に放置されたままになっている遺骨収集にもっと誠意を見せるべきです。私たちのために尊い命を投げ出してくれた人たちの遺骨を異国の地に平気で雨ざらしに放置しておいて、再び愛国心を強制するのは不条理すぎます。