日本は自由主義国家ではありますが、報道上は様々な規制や自由な報道を許さない構造的な仕組みがあったりして、マスメディアの世界は私たちが考えているほど自由なものではなさそうです。
マスコミの泣き所はスポンサーが付かなければ商売が成り立たないことです。分かっていても利害関係から産業界に都合の悪い報道はできません。またこれまでの日本の産業界は政府の庇護のもと官民一体となって成長の道を歩んできましたから、報道の自由は権力の意向に背くことにもなりかねません。
こうした報道規制は長い歴史の中で複雑な人脈関係が形成されて阿吽の呼吸で機能するようになっているようです。不都合な問題が生じると何の指示も出ていないのにいっせいに自己保存のスイッチが押されてしまいみな貝のごとくに口をつぐんでしまいます。
社会の変革を促すには抜け駆け的な行動に走る人やグループが出てこられる自由な風土がなければなりませんが、そんな損な役目を請け負っても日本では孤立するだけなのが現実でしょう。特に自己保存のために見せる私たちの結束力はある意味とても恐ろしいことでもあります。