小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2013年4月13日土曜日

日本からセシウムが消えた!?(日本のマスコミはセシウムを使えません)

 日本のテレビや新聞などからセシウムという単語が消えたことをご存知ですか。日本のマスコミ界では今やセシウムという単語は絶対的な禁句で使用できません。

 私は自分の人生訓を完璧に守れたかと聞かれればノーと言わざるを得ませんが、お金のために良心を売ったり、若い人や弱い人たちを食い物にする商人(アキンド)的な生き方はできる限りしないように努力してきました。幸いにもかつての大学は比較的そういう意味で過ごしやすい所でした。

 ところで週刊誌などでタレントや歌手がウン億円、ウン十億円の借金を苦労して返済したことが美談のように報道されることがあります。そういう巨額のお金がひとりの人間をめぐって動き、巨額な借金返済劇が軽い美談として語られるマスコミ界に底知れぬ恐ろしさを感じます。

 私の生活感覚からすると億単位の借金などは絶対に考えられません。ですからそんな多額の借金が可能な芸能界の金銭感覚がまず理解不能です。芸能人は一般人とは利用価値が違うんだよと言われそうですが、それは単純にお金の動く量から見てのことであって社会への貢献度という意味からではありません。

 特に今日の日本のマスコミ界からセシウムの単語が消えたことはタレントであれば分かっていないはずはありません。タレントはいっせいに口をつぐみ、新聞やテレビなどもこの頃はすっかり原発の話題は扱わなくなってしまいました。こういった状況から見てもタレントやマスコミの社会貢献度に疑問を持たざるを得ないのです。

 特定の外国人を拝金主義だと軽蔑するなら、タレントやマスコミは自分たちの懐の都合から政府の意向に背かないように発言したり報道するのは集団的拝金主義としてもっと恥ずべきことです。特にタレントのみなさんは今日では若者の理想のモデルとなっているのですからなおさら社会的責任は重大です。

 とにかく言葉の世界では日本からセシウムは消えました。福島の状況を思うと口惜しくてなりません。