福島第一原発事故までは電気は確かに商品でした。しかし、本当は貴重な資源であることがはっきり見えてきたのが皮肉にも原発の事故でした。
まずここで理解しておきたいのが発電した電気は捨てることができないことです。発電した電気は何らかの方法で消費し尽くさねばなりません。原発は安全上の理由で常時フル稼働が至上命令ですから必然的に夜間電気は余ってしまいます。これは原発由来の電力の特徴です。
その余剰分は火力発電を止めて調整しますがそれでも余ります。この余剰電気を手っ取り早く消費する方法が効率の悪い揚水発電によるバックアップです。これは夜間電気を使って大きなダムにポンプで水を汲み上げて貯めておき必要な時に汲み上げた水を使って水力発電をします。
また電気自動車を普及させれば夜間電気の消費は一気に増加して不足がちとなります。そうなるとさらなる原発推進の理由になります。電気自動車は原発推進派にとっては一石三鳥でした。その三鳥目は環境に優しいという売り文句です。ところが実際には電気自動車と原発がそんな売り文句を隠れ蓑にきっちりと結びつくのです。
この事実から電気を商品と見なして消費を煽る原発依存の経済構造がはっきりと見えてきます。毎年増益を確保して持続的に成長を続けるには原発はとても都合のいい発電システムです。原発を廃止して発電量に限界のある再生可能エネルギーの社会に転換すると結局は節電が不可避です。それでは旧来の消費奨励の経済構造を放棄せざるを得ません。経済界には都合が悪いことこの上ありません。
日本がこの構造転換に極めて消極的なのは先ほどの4月のアースデーをみても明らかです。アースアワーと謳ってパリの観光名所エッフェル塔では短時間ながら照明が消されます。そういったインパクトが大きい節電への啓蒙活動が東京タワーやスカイツリーではなされないのは、日本が電気を貴重な資源とみなしていないという強い否定的メッセージを世界に発信していることになります。
私たち都会人は過疎地の人々に原発のリスクを背負わせて快適な生活を満喫してきました。そして東日本大震災の発生した3月11日からは私たちがこれまで電気を商品と信じて疑わずに冒してきた過ちを原発被災地の人たちに償わせているのも同然です。これが今回の福島訪問でもった実感です。電気は貴重な資源です。とにかく節電に努めたいものです。