小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2013年7月31日水曜日

8月15日を前にして 特攻隊と靖国神社参拝シーズンと国防軍

 麻生太郎副総理は都内の講演で、「国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい」と述べたと報道されています。麻生議員の歯切れの良さは好きですが、自分の言う言葉の意味を深く考えないところがたまにキズです。


 まず麻生議員の言う「国のために...」の『国』は具体的には万世一系の天皇陛下が統治される戦前のクニを意味していて、今日の日本国ではありません。そのクニを守るためと称して洗脳された国民は “ 命を投げ出した ” のではなくて、“ 命を投げ出させられた ” のです。

 

 そういう無数の犠牲者の無念の思いを汲むならば、彼らの命を粗末に扱った首謀者たちが靖国神社に一緒に祀られていいはずはありません。天皇陛下が靖国神社参拝をお止めになったのもこういうお考えがあったからだと思います。残念ながらこの論理が通用しない政治家も多くて靖国参拝を強行しています。私はこの感覚のズレがとても気になります。


 太平洋に散っていった若い特攻隊員の悲痛な無念の叫びに想像力が及ばないズレた感覚の人たちが “ 敬意と感謝 ” などと言って参拝に来る様子を彼らの魂はどんな気持で眺めているのでしょうか。政治家の靖国参拝の報道を目にするたびにいつもこの疑問が私の脳裏をよぎります。

 

 特攻隊に年寄りを動員する代わりに18歳にも満たない少年たちの命を犠牲にした理不尽な歴史に反省のない人たちが国防軍などと言い出すのは絶対に反対です。彼らはきっとまた若者を見殺しにしても敬意と感謝といって平気のへっちゃらで生きながらえていくのでしょうから。