小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2013年7月19日金曜日

100%の安全と100%のプライバシーは両立しないのか?

 アメリカのオバマ大統領は個人情報の無断利用について100%の安全と100%のプライバシーは両立しないと語ったようです。これはとても上手い表現ですが、よく考えてみるとチョットおかしいことに気がつきます。


 そもそも100%の安全などというものは存在するのでしょうか。


 具体例でいえば、例えば犯罪率の計算では分子に年間犯罪件数がきて、分母に対象地域の例えば10月1日の居住人口がきます。ところが絶対に犯罪のない100%の安全となると時間軸を永遠に伸ばすことになります。そうなると分母も分子も決まりませんから犯罪率の計算は不能となり、畢竟100%の安全などというのは存在しないことになります。


 では100%のプライバシーは存在するのでしょうか。


 安全とは違ってプライバシーは数字では定義できません。その内容は言葉で定義するしかありません。極端なことをいえば、プライバシーの考え方は個人的に違ってくるはずですから、国民全員を満足させるプライバシーの定義などはありえません。結局は国民は最大公約数的なもので妥協せざるを得ません。


 分かりやすく言えば、私は自分がいつどこに行って何をしているかを逐一監視されたら、困ることはなくてもそんな社会は息が詰まりそうで御免です。でも人によってはまったく気にならない人もたくさんいるでしょう。ですから国家が侵してはならないプライバシーの内容は国民の間で十分な議論を尽くして得られる国民的合意に基づいて決めるしかないのです。


 こうして考えてみるとありもしない100%の安全のためといって政府が勝手に個人情報を収集管理することには何となく割り切れないものがあります。