小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2013年6月11日火曜日

登山家・冒険家としての故植村直己氏と三浦雄一郎氏

 満80歳を超えてエベレスト登頂に成功したプロスキーヤー・登山家三浦雄一郎氏と冒険家・登山家故植村直己氏の生き方には対照的な姿勢が窺われます。


 植村直己氏は雑草のような経歴の持ち主で、北米大陸最高峰マッキンリーの厳冬期単独登頂を試みて不幸にも行方不明となりました。彼が本格的に登山を知ったのは明治大学入学後でした。登山費用を得るために彼が辿った紆余曲折の人生行路からは、彼のいわば不器用な性格が伺い知れます。


 植村直己氏がエベレスト登頂を果たしたのは1970年5月でした。彼はいわば荷物運搬人同然だったのですが、抜群の体力を買われて幸運にも途中から登頂隊の一員になれました。このエベレスト登頂経験を教訓に彼が目指すようになったのが資金力に物を言わせて山々を征服するのではなくて単独行で登山や冒険をすることでした。


 一方で三浦雄一郎氏は父親が有名な山岳スキーヤーでいわばスキー界のサラブレッドでした。北大卒業後はスキー学校を設立したり、莫大なエベレスト滑降費用などを財界人からの寄付で賄うなどして、天才的なビジネス能力を発揮しました。今回の満80歳を超えてのエベレスト登頂成功は、天賦のスポーツ能力と天才的な企業家精神の持ち主であったからこそ達成できたと言えます。


 孤高の単独行に固執して自然の脅威の前に命を落とした故植村直己氏と資金力と物量に物を言わせて人間の年齢の限界に挑戦した三浦雄一郎氏の生き方からは人生の真髄を学び取ることができます。それは自分を信じて自分なりに生きる勇気の大切さということではないでしょうか。