小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2013年6月3日月曜日

老婆の裸体という考え方

 東洋のロダンと称される彫刻家の故朝倉文夫氏はロダンの彫刻「美しかりしオーミエール」を「老婆の裸体」と呼んでいるようですが、私の考えは少し違います。私なりに理解するロダンの芸術観では老婆は赤ちゃんと同様に裸体芸術の対象ではないと思うからです。ではなぜロダンは老婆を作品にしたのでしょうか。


 人間の誕生から死にいたるまでの道程は性への執着の履歴と見ることもできます。幼少期の自我の目覚めとともに男女の相違に気付き異性への興味が膨らんできます。そして青春期から壮年期の出産と子育てに適した生殖期を経て老年期に入ってくると、肉体の衰えが進んで性への執着の残り火の中で死の実感がわき上がってきます。その葛藤が老年期の特徴です。


 男性のロダンにとっては、生命とは主にこの性への執着のダイナミズムのことであって、そのためのモチーフが裸体であったと思います。一方でロダンがあの老婆の肉体に見ていたのは裸体ではなくて、老年期の葛藤を超越した人間の尊厳に満ちた姿でした。つまりロダンは「美しかりしオーミエール」で老婆の姿を使ったからこそ生命の尊厳を表現できたと言えるのではないでしょうか。