小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2013年6月16日日曜日

もし福沢諭吉が明治天皇にご進講していたら...

 渡辺幾治郎著「明治天皇と教育」によれば、教育勅語とは日本古来からの道徳的理想が結実し、天皇の人格と精神などすべてが反映したものであるということになります。教育勅語は成案までにいろいろと紆余曲折がありましたが結局は明治23年に発せられました。


 もとより明治5年に福沢諭吉の「学問のすすめ」が発行されてベストセラーになりました。これで西洋風の考え方が一般に知られるようになり、学校制度にも西洋的教育観が反映されるようになりました。そこで日本古来の四書五経に依拠する道徳観軽視の風潮に危機感を抱いたのが復古派の人たちで、彼らが傾注したのが明治天皇の徹底的な古典教育でした


 明治天皇からもっとも厚い信頼を獲得した側近が儒学者元田永孚(ながさね)でした。元田は明治5年から侍講として漢書のご進講に携わり明治23年に枢密顧問官の地位にまで昇り詰めて退任しました。元田の経歴を見ると学問のすすめに対抗するかのように皇室に送り込まれ教育勅語の誕生を見届けて退任し、この世を去っていったともいえます。


 歴史にもしはありませんが、もし福沢諭吉が元田の代わりに侍講として明治天皇に「学問のすすめ」や外国事情をご進講していたら教育勅語はなかったでしょう。すると今日の日本はどんなだったか考えてみるのも興味深いものがあります。