最近ではネット右翼と称される人たちの存在が議論の的になってきております。ネット社会は基本的には誰のコントロールも効かないところが最大の特徴ですから、私には彼らを積極的に否定すべき根拠は見当たりません。
私たちの日常的常識では想像できない感覚で自分たちの考えを表現したり示威行為に走ったりする人たちを安易に否定することと、今日のマスコミのようにエスタブリシュメントの一員として体裁よく市民をコントロールすることの間には、何かがつながっているような気がしてなりません。
例えば原発報道に関して報道規制が敷かれているとすれば福島第一原発の真実を隠蔽する大きな犯罪的行為です。このような市民に見えない大がかりな不実行為の脅威と切迫した暴力行為の可能性のないネット右翼のような危険性とでは、どちらが社会に有害かと問われれば、私は即座に原発の報道規制であると答えます。
私はネット社会を活用する人間として安易にネット右翼だといって直ちに犯罪者のように扱うのは反対です。彼らの言動は直接的に暴力という犯罪行為を想起させるために恐れられるのでしょうから、その点では彼ら自身も改善すべきところが多々あります。
しかし、ネット右翼側もそれを否定する側も、権力によってネット社会が規制と監視の山にされることだけは阻止しなければなりません。そこが権力の目の付けどころだとすれば、ネット右翼が騒いでいるうちはまだましだという認識も忘れてはならないでしょう。