小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2013年12月2日月曜日

テロと暴力の本質的相違を考えてみる

 石破茂自民党幹事長が絶叫デモは本質的にテロと変わらないとブログで述べて批判を受けています。彼としては国会周辺の絶叫行動は迷惑行為であると言うべきところ彼の感情的な部分を込めてテロという言葉になったのでしょう。その自己抑制の感じられない傲慢さが気になります。


 単純な大音響の迷惑行為ならば、渋谷や新宿駅周辺などで繰り広げられるトレーラー車を使った宣伝行為や商店街に一日中流れる有線放送もあります。こうした騒音も街宣車のような形態を取れば市民に恐怖感を与えます。そしてこれが度を過ぎれば暴力にもなりかねません。では暴力とテロとの違いはどこにあるのでしょうか。


 テロも暴力もともに組織的なものがありますから組織性だけでは区分けはできません。暴力が善良な市民に向けられた場合に社会不安や政府転覆が目的となればテロという範疇に入ってきます。ただ暴力もテロも恐怖を掻き立てるものですが、政権ないしは国家に真っ向から暴力的に敵対するものでない限りはテロとは呼べないように思われます。


 しかし、それだけでテロと呼ぶのは安易すぎます。テロの本質としては、高度な組織性と大きな社会かく乱の事実だけではなく、さらに切迫した現実性がなければならないと思います。このあたりの認識に欠ける人が政権の中枢にいることの方がある意味ではテロよりも怖いことではないでしょうか。なぜならそういう人は冷静であるべきところで過剰反応しかねないからです。