小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2014年9月7日日曜日

財閥は永遠なりか

 三菱財閥の創始者岩崎弥太郎(1835~1885)の弟岩崎弥之助(1851~1908)は1890年に沼地だった現在の丸の内界隈の土地を買い取って開発に乗り出しました。弥之助は父の死で日本に呼び返されていますが、1872年にアメリカに留学しております。恐らく彼の留学は坂本竜馬と親交のあった弥太郎の勧めがあったからでしょう。

 

ところで天皇家は1869年に京都から東京に転居していますから、弥太郎が皇居近くに土地を入手したのはそれから約20年後でした。それでも東京の本格的な人口増加は20世紀に入ってからでしたから、まだ沼地であったのも不思議ではありません。

 

 1914年に東京駅が開業してからは二度にわたって悲惨な世界大戦がありました。第二次世界大戦では東京駅や丸の内界隈も被災しました。それでも戦後は目覚ましい発展を遂げて日本のビジネス街の押しも押されぬ中心地になっています。

 

 戦後69年が経過したというのに戦争で負った心の傷を背負ったままの人達も少なくありません。近年の丸の内の発展ぶりをみると日本の経済力を実感しますが、血塗られた悲惨な戦争の爪痕がまったく感じられない風景を前にすると複雑な気持ちです。