小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2014年11月3日月曜日

日本の保守派の人たちがはまる落とし穴

 フジテレビなどのキャスターとして知られた竹村健一氏が著した「私も原子力が怖かった」(サイマル出版)を読み直してみると、竹村氏ほど多くの情報源を持っている人でも東電福島第一原発事故の可能性を意識的に排除していたことが分かります。特に気になるのが、合理的な根拠を示すべきところを日本人の美徳で片づけてしまっていることです。これは保守的な人たちのもっとも陥りやすい落とし穴ではないでしょうか。


 教育勅語がまだ世の中を律していた時代には、日本は世界的に立派な国、日本人は世界に誇れる優秀な国民などという思い上がりが社会を染め上げていました。庶民はそこに強い疑念を抱きながらも、軍政下の統制社会では何とも声を上げることはできませんでした。


 竹村氏は次のように信じていました。「核燃料は....封入されている。その外側を「原子炉圧力容器」と呼ばれる大きく頑丈な鋼鉄の容器で包み、さらにその外側を「格納容器」という大きな鋼鉄の入れものですっぽり囲み、そのまた外側を厚いコンクリートの「遮へい壁」が外部と遮断している。死の灰が、これらのあらゆる防壁を突き抜けて、外部にばらまかれることなど考えられない。」(p.34)


 そして「また、安全性確保は、日本がどの国よりも厳しく優れているという。それは、日本人の国民性と合わせて、“核アレルギー”なるがゆえの慎重さによるものだろう。」(p.47)と結論しています。竹村氏の真骨頂ともいえそうな仕上げ方ですが余りにも観念的過ぎます。今、竹村健一氏は原発について何を考えているのでしょうか。