小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2014年11月21日金曜日

生きるのに疲れる日本の社会

 介護に携わる教え子が感情労働の研修を受けて疑問に思って相談に来ました。接客業の大手企業は、この類の研修に積極的に取り組んでいるようです。しかし、感情労働の強制は燃え尽き症候群を生みやすく、結局は高い離職率の原因にもなります。


 さて感情労働とは何かを説明するには、そこからもっとも遠い存在にあるのが芸術家や僧侶などであり、一番近いのがホテルマン/ウーマンやファーストクラスの客室乗務員などだと言った方が分かりやすいでしょうか。そのためか航空会社の客室乗務員出身者が感情労働セミナーの講師になることもあるようです。


 感情労働には、ああしなければいけない、こうしてはならないなどの厳しい感情規則が前もって設定されています。それに合わせて行動できるように自分の感情をコントロールすることが感情管理であり、そうしながら働くことが感情労働と言えます。


 この感情労働をどうこなすかという深刻な問題は、三次産業の対人サービスに関わる職場では重要なテーマとなり、ホテルや航空会社などの従事者はホスピタリティーという概念に活路を見出そうとしました。この概念は残念ながら学問的な裏付けに乏しい非常に観念的なものですから、結局は感情労働信奉主義に陥ってしまいました。


 一方で看護や教育の分野からはケアリングという概念が提案されて、その可能性について学問的に精力的に研究がなされてきました。ケアリングの概念は、19世紀のドイツ哲学にもさかのぼって理論的構築が進められ、今日では看護や教育の領域を超えた最も重要な人間関係論です。深いところで人間関係を紡ぐ自然アートがケアリングです。


 日本は労働面は言うに及ばず生活面でも感情“労働”が強く要求される疲れる社会です。私が実際にその国の言葉で生活して、ある程度は暮らしの実態を知る国はドイツ、フランス、イギリス、アメリカですが、これらの西欧社会では個人のアイデンティティーが尊重されていますから、社会生活や家庭生活においてまで感情労働を強いられることはあまりありません。


 しかし、私たちは“自分”を抑制しながらいつも周囲のなかに埋没して生きることを期待されていて、もっとも発達した感情労働社会で生活しているといえそうです。職場のみならず地域や家庭における人間関係までもが感情労働的に見られているところに、日本社会の生きにくさがあるのではないでしょうか。