小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2014年11月29日土曜日

笑い話 猫のじゃんけん

「最初はグーッ。じゃーんけんぽん!」

「相子でしょっ!」

「相子でしょっ!」

「しょっ!」

「しょっ!」

「ダメだ。僕らグーばかりで勝負がつかない。」

学生アンケート調査 薬物は個人の自由か

 関西の4大学によるドラッグに関する新入生アンケート調査で、全体の7%ほどの学生が個人の自由とか一度くらいはと回答したそうです。果たして、ドラッグ使用は個人の問題として片づけられるのか考えてみたいと思います。


 まず一回くらいはという安易な考え方が危険なのは、何かをする場合には最初のバリアーが一番高くて、その後は低くなるばかりであるところにあります。ついつい一回が二回、二回が三回になっていって、行き着くところは依存症という結果になるのがドラッグの恐ろしさです。依存症に陥るともはや自分の力だけでは抜け出すことは不可能です。


 また個人の自由だという考え方は真っ向から完全否定はできません。ドラッグ使用は違法行為ではあっても同時に個人的な行為でもあり、何が悪いと問われても明確な答えを示すことはできません。例えば、違法だからとか、健康を害するからとか、家族が悲しむからとか、社会に迷惑だとかなど言い方はありますが、それでは納得しない人がいても不思議ではありません。


 要するに、自分が自分でなくなる人格崩壊というドラッグの恐ろしさが、個人主義の進展とともに見えにくくなってきているというのが日本の現状であるかもしれません。

2014年11月28日金曜日

レースは文化なり

 ホンダは来シーズンから自動車レースの最高峰のひとつであるF1にエンジン供給という形で復帰します。ホンダが日本企業として初めてF1に参戦したのが1964年でした。1年後に初勝利という大金星を上げましたが、結局は5年間の挑戦で優勝は2回でした。


 ホンダのF1黄金期は二度目の挑戦となる1983~1992年までの10年間でした。特に1988年は16戦中15勝という圧倒的な強さを見せてホンダエンジンの伝説が始まりました。しかし、バブルが崩壊すると通算69勝しながらもさっさと撤退してしまいました。この黄金期にホンダを背負った天才ドライバーがあの故アイルトンセナでした。


 そしてホンダの三度目の挑戦はバブル不況から癒えた2000~2008年の8年間でした。ホンダの再登場はあまり歓迎されていなかったのか、この間には1勝しかできませんでした。そしてアメリカのサブプライムローンの崩壊による金融危機が始まるとまた撤退してしまいました。


 このようにホンダのF1レースからの撤退にはいつも不景気が関係しておりました。ホンダにとってはF1レースはホンダの成長を支えてくれた大切な牧場だったはずですが、都合が悪くなると逃げ出し、都合が付けばまた帰ってくるということを繰り返してきました。これでは外様扱いしかされません。


 豊かな牧場も放置すれば荒れ果てて使い物にならなくなります。ホンダが不在の間も、お金のかかるF1レースを守ったのはやはり不況に喘いでいたはずのヨーロッパの自動車業界でした。今回の挑戦では、F1レースは大切な文化だ、という認識をもって辛抱強く戦ってください。応援してます。

2014年11月27日木曜日

若者の命を食う日本の政治

 新聞の投書欄に長い海外生活から帰った高校生の投書が掲載されていました。そこには帰国してカルチャーショックを受けたことが書かれていました。


 高校生は、カリフォルニア州では公共の場で喫煙することは禁止されているのに、日本では若い人たちが公共の場で普通にタバコを吸っていたことにショックを受けたのです。西欧先進国では公共の場所での喫煙禁止は当たり前ですが、日本では相変わらず放ったらかしです。私はかつて大学を禁煙キャンパスにしようと提案しましたが、学生が減ることを恐れてか賛同者をひとりも得られず、私は学生委員から外されました。


 今日では肺炎と肺の重大な慢性の換気障害が主徴のCOPD(慢性閉塞性肺疾患)が死因の上位にあって、特にCOPDは喫煙が元凶であることははっきりしています。それでも政府が禁煙運動を積極的にしないのは、税収の減少やタバコに関わる利権などを放棄したくないからでしょう。こうして若者がCOPD予備軍に仕立て上げられて将来的には本人は大きな付けを支払わされることになります。


 さらに残念なことは原発事故でもそうですが、病気の人間が増えれば増えるほどGDPへの貢献は大きくなり、政治家たちには‘金になる’ことです。すでに福島第一原発の事故で4兆円を超える賠償金が支払われていますが、これも結局は数字としては経済成長として計算されるのです。タバコを吸わせて若者の命を粗末にするということは、ある意味では政治家にとっては成長戦略であってお金になることなのです。とにかく若い喫煙者は禁煙に取り組んでください。

2014年11月26日水曜日

本当の自分でいられる場所

 小椋桂さんはNHKテレビのインタビュー番組で、自分本来でいられる時間がシンガーソングライターであった、そして銀行員としてはいつもポーズを取って生きていたと語っていました。銀行員という阻害された人間に実際になってみて、阻害されている自分を外から見ながら歌を創造していたそうです。


 阻害されている自分を冷静に眺めるなどということは逃げ場がなければできる芸当ではありません。小椋桂さんのようなプロフェッショナルな逃げ場を持つには才能が必要でしょうが、打ち解けて話ができる人くらいなら、才能に関係なく持つことが出来るのではないでしょうか。

愛日長アマガエル 痴漢と間違えられる!?

 私は通勤列車内で何度か痴漢を発見したことがあります。恐ろしいのは周囲の人たちや被害女性までも痴漢行為に気付いているのに沈黙していることです。私はぶん殴ってやることにしていますが、そんな時の騒動にも周囲は誰も反応しません。もし、私が痴漢から反撃されたらと想像すると恐ろしくなりますが、私たちが行動する勇気を持たねば卑劣な行為を止めさせることはできません。


 私は痴漢行為を実際に目撃してから、自分が痴漢に仕立てあげられるのではないかと恐怖を感じるようになりました。そこで満員の通勤列車内ではいつも吊り革を両手で握った姿勢でいることにしています。最近は電車内を見回してみると、そんな気遣いをしているような人が案外いることに驚かされます。おかしな世の中ですが、私の方がおかしいのでしょうか。

愛日長アマガエル 振り込め詐欺に引っかかる!?

 私は絵画に囲まれているのが好きですし、美術鑑賞は飯より先にしたいくらいですから、時々オークションで作品を落札したりします。先日はかなり高額な応札競争となり、最後には青天井を警戒して途中で諦めましたが、数日後に出品者の名前を語って落札者のキャンセルを伝える勧誘メールが飛び込みました。


 最初は詐欺とは考えずに真摯に交渉に応じていましたが、第六感が働いたというかハッと気が付いて、詐欺だと困るので住所と名前と電話番号、そしてお店のホームページのURLを知りたいと率直なメールを出したら、ピタリと連絡が途絶えてしまいました。結局は振り込め詐欺だったのです。


 私は電話によるなりすまし詐欺には会ったことはありませんが、今回のオークションでキャンセルを語る新種の詐欺には驚きました。幸いにも愛日長アマガエルはニセメールに騙されずに済みました。皆さんもくれぐれもご注意ください。

このチャンスを逃してはならない???

 これは安倍首相がアベノミクスの正当性を訴えて街頭で叫んだ言葉です。しかし、どう考えてみてもおかしな理屈です。もし、首相が本気でアベノミクスは成功している、これを絶対に頓挫させてはならないと信じているのなら、なぜ必要性のない解散に踏み切ったのでしょうか。


 今回の総選挙でも無党派層は眠ったままで動き出しそうにありませんから、自民党が多少は議席数を減らしても大勢は何も変わらないはずです。つまり私たちには何の意味もないであろう総選挙も首相にとっては大きな意味があるとすれば、それは2年の任期が4年になることしか考えられません。


 首相は、ここで何をするために4年間という時間が必要になって焦っているのかは言わないでしょうが、そういう狡猾さがどうしても気になります。

2014年11月25日火曜日

高倉健さんの贅沢

 高倉健(敬称略)が亡くなって映画界やファンからはその死を惜しむ声が絶えません。私の印象では、でしゃばらず、礼節を重んじ、人情を忘れないという日本の現実社会の清涼剤であり続けることが彼の望んだ人生だったのでしょうか。


 デビュー映画の直後に任侠映画シリーズの主役に抜擢されてからは、スター街道を爆進しました。そして老年期を迎えるとお金のためだけに働くという“恥ずかしい存在”になり下がることを拒否しました。望めばいくらでも寄って来たはずのお金にへりくだって生きることに毅然としてノーと言えた人生は、いかなる豪華絢爛たる人生よりも贅沢だったといえるのではないでしょうか。

2014年11月24日月曜日

日本女性の官能美の最高傑作

 新宿中村屋本店が新築されて中村屋サロン美術館が誕生しました。新宿駅に直結するところにあり入場料も300円と極めて良心的です。


 美術館には重要文化財指定の大型ブロンズ像「女」(荻原守衛ー碌山作)が展示されています。このブロンズ像には、戦前タイプの日本女性の肉体を官能的に見せる最高の演出が施されています。ミロのビーナスに代表されるギリシャ彫刻の美の普遍性とは違った趣があって一見に値します。


 「女」のモデルは、顔を少し仰向けにして突き出した顎の隆起が強いアクセントとなっていて平面的な顔の作りをまったく感じさせません。また、仰向けの姿勢のまま腰を引いて胸を突き出しているため、自ずと乳房の存在感が強調されています。そして視線を下げると跪いたモデルの右の大腿部が見る者に迫ってきて、短いはずの下半身をまったく意識させません。


 この彫像は、立像では表現しえない日本女性の官能美を追求したひとつの必然の結果であると言っても過言ではありません。

2014年11月23日日曜日

ハチャメチャな少年

 川崎市立岡本太郎美術館に行きました。生田緑地と言われる緑いっぱいの丘陵地帯の中腹に佇む近代建築の美術館は、森林浴と美術鑑賞には絶好の散策スポットです。


 私は岡本芸術のファンではありませんし、シュールレアリスムの理解者でもありませんから、作品にはあまり期待していませんでした。しかし、実際に多数の力作を目の前にしてみると、その圧倒的な存在感は私の脳みそを爆破するには十分なほどに爆発的でした。彼の作品の爆発力の源は、夫婦の常識を解体したような生き方をする母親との生活に苦悩しつつ、一方では自由奔放な少年時代を過ごせたところにあったのではないでしょうか。

 

 平凡な作品や平凡な生き方は、彼の第二の母国語だったフランス語ではバナール(陳腐な、平凡な)という言葉で片づけられてしまいますが、久しぶりにバナールでない刺激的な時間を持つことが出来ました。

2014年11月22日土曜日

政治に翻弄される私たち

 首相にとっては予定通りの衆院解散で12月14日の総選挙が決まり、すでに街頭では候補予定者の運動が始まっています。しかし、街頭聞き取りで半数を超える国民が?を感じている解散は、現政権の“政治家のための政治家による政治”を象徴しています。

 

 沖縄の知事選挙では普天間飛行場の辺野古移設反対の知事が当選しました。得票率50%を超える35万余票を獲得した重い事実を突き付けられても、官房長官は「法治国家として粛々と(移設)を進めていく」と述べました。政府の政策が有権者の意思とはまったく逆のところにあったのでは法治とは言えません。


 「法」の文字に付く三水辺は水を意味していて、水は低い所を隅々まで潤すことが出来ます。しかし、政治家の独善的なやり方は「法」の精神を裏切るものでしかありません。私たちは聴く耳を持たぬ政治家に翻弄され続ける悲劇を、このあたりでしっかり直視すべきではないでしょうか。

2014年11月21日金曜日

笑い話 キャンパス猫のIQテスト

愛日長アマガエル 「顔を洗う。」

黒猫ディーン    「やってるよ。」

愛日長アマガエル 「毛繕いをする。」

黒猫ディーン    「やってるよ。」

愛日長アマガエル 「オシッコの後始末をする。」

黒猫ディーン    「やってるよ。」

愛日長アマガエル 「エライなあ。じゃー、勉強は?」

黒猫シーン     「やってるよ。」

愛日長アマガエル 「ウソつけ!寝てばかりじゃないか。」

黒猫ディーン    「ボク、ちゃんと学生さんをお手本にしてやってるよ。」

生きるのに疲れる日本の社会

 介護に携わる教え子が感情労働の研修を受けて疑問に思って相談に来ました。接客業の大手企業は、この類の研修に積極的に取り組んでいるようです。しかし、感情労働の強制は燃え尽き症候群を生みやすく、結局は高い離職率の原因にもなります。


 さて感情労働とは何かを説明するには、そこからもっとも遠い存在にあるのが芸術家や僧侶などであり、一番近いのがホテルマン/ウーマンやファーストクラスの客室乗務員などだと言った方が分かりやすいでしょうか。そのためか航空会社の客室乗務員出身者が感情労働セミナーの講師になることもあるようです。


 感情労働には、ああしなければいけない、こうしてはならないなどの厳しい感情規則が前もって設定されています。それに合わせて行動できるように自分の感情をコントロールすることが感情管理であり、そうしながら働くことが感情労働と言えます。


 この感情労働をどうこなすかという深刻な問題は、三次産業の対人サービスに関わる職場では重要なテーマとなり、ホテルや航空会社などの従事者はホスピタリティーという概念に活路を見出そうとしました。この概念は残念ながら学問的な裏付けに乏しい非常に観念的なものですから、結局は感情労働信奉主義に陥ってしまいました。


 一方で看護や教育の分野からはケアリングという概念が提案されて、その可能性について学問的に精力的に研究がなされてきました。ケアリングの概念は、19世紀のドイツ哲学にもさかのぼって理論的構築が進められ、今日では看護や教育の領域を超えた最も重要な人間関係論です。深いところで人間関係を紡ぐ自然アートがケアリングです。


 日本は労働面は言うに及ばず生活面でも感情“労働”が強く要求される疲れる社会です。私が実際にその国の言葉で生活して、ある程度は暮らしの実態を知る国はドイツ、フランス、イギリス、アメリカですが、これらの西欧社会では個人のアイデンティティーが尊重されていますから、社会生活や家庭生活においてまで感情労働を強いられることはあまりありません。


 しかし、私たちは“自分”を抑制しながらいつも周囲のなかに埋没して生きることを期待されていて、もっとも発達した感情労働社会で生活しているといえそうです。職場のみならず地域や家庭における人間関係までもが感情労働的に見られているところに、日本社会の生きにくさがあるのではないでしょうか。

2014年11月20日木曜日

アベこべアベノミクス

 アベノミクスと言われる安倍晋三首相の経済政策は三本の矢で有名です。その中身は、第一の矢は「大規模な金融緩和政策」、第二の矢は「公共事業主体の財政出動」、第三の矢は「民間投資活発化による成長路線」と言えます。


 現場とは無関係にボタンを押すだけで済むのは第一の矢の金融緩和政策です。これは日銀総裁を従順な人に替えれば簡単に実行できます。ですからすぐに実行に移されました。第二の矢の公共事業投資も予算を出しさえすれば、あとは採算お構いなしのお役人仕事ですから簡単です。


 第三の矢だけは、民間企業の投資戦略に絡んできますから容易には動き出しません。特に自己責任の民間企業は愚かではありませんから、新しい需要や市場の創出に確信が得られない限りは新規に設備投資をしようなどとは絶対に考えません。また人口減少高齢化社会のもとでは特に慎重にならざるを得ません。


 こうしてみると第三の矢をないがしろにするあべこべ不況対策が保守政権のやり方でしたが、1200兆円に迫る財政赤字の山という副作用がありました。先の民主党政権はコンクリートから人へのスローガンを掲げて、こうした安易な景気刺激策に頼らずに我慢に我慢を重ねていましたが、熱しやすく冷めやすい性急な国民にはそっぽを向かれて政権を失い挫折しました。


 その契機となったのが皮肉にも東日本大震災時の原発事故への対応の不手際でした。マスコミが結束して行った政府批判の大合唱は、国民に民主党政権への失望感を植え付けるには十分過ぎる効果をもたらしました。戦後のしがらみを抱え込んだ自民党にこの先も託すのか、とにかく勇気を持ってまずは変えてみるのか、もう一度過去を見つめ直して次の総選挙に臨みたいものです。

パリのチョコレート屋のおばあちゃん

 これがチョコレートの正しい食べ方などと言えるものがあるのかどうか知りませんが、私がパリに住んでいた時に聞いた古いチョコレート屋のおばーちゃんの話を紹介します。


 このお店はいわばパリのすずらん通りみたいなところにある間口が3メートル奥行き2メートルほどの小さなもので、お店の塗装もいつ最後にしたのかわからないような佇まいでした。私は周りの高級店とのアンバランスな風情に惹かれて中に入ったら、出てきたおばあちゃんと話が弾んでしまいました。


 彼女の話では、チョコレートには生クリームたっぷりのソフトタイプとそうでないハードタイプの2種類があって、ハードタイプのものは飴のようになめ回して、じわりじわりと湧いてくるカカオの味を楽しむのがいいということでした。一方でソフトタイプのものはチーズのように噛んで、口の中に一気に広がる甘味と滑らかな食感を楽しむのもありだということでした。


 確かに子どもの頃に食べたチョコレートはみな硬くて、塊が口の中で溶け始めるまでは紙を食べているような無粋な感じだったことを思い出します。近頃はチョコレートも高級路線ばかりで超ソフトタイプが主流になっていますが、そうでないクラシックな高級チョコレートも時には楽しんでみてください。

2014年11月19日水曜日

リベンジポルノ

 交際がこじれた相手への嫌がらせのために相手の裸の写真などをネット上に流す行為を罰するリベンジポルノ法が11月19日に成立しました。


 そんなことをすれば、だから嫌われるんだよ、と自分の人間性を疑われるのが落ちなのに、その見識がひっくり返って時には深い恨みになってしまうのが男女仲のこじれの怖さです。いかに親しい異性関係にあったとしても、裸の姿を撮影したいなどという欲求は恋人の尊厳に配慮がない証拠ですから、そういった画像が存在する関係性にはすでに歪んだところがあると言わざるをえません。


 ですからリベンジポルノ事件を防止するには法律によるのではなくて、私たちが見識を持つしかないのです。リベンジポルノ法の実効性は大いに疑問です。

女子アナの内定取り消し

 ある女子アナ希望者が就職の内定を取り消されて話題になっています。報道によれば、取り消しの理由は本人のホステス経歴にあったようですが、ここでまた議論が沸騰してしまいました。内定取り消しを批判的に見る人からは、女子アナはそんなに神聖な存在なのかと疑問の声が上がっています。


 ホステスの経歴の有無と女子アナの能力とはあまり関係がないようには思われますが、女子アナが言わばイメージアイドルとして大切な商品である以上は、採用する側としても都合が悪かったということではないでしょうか。


 私たちにもホステスを見下すような心的傾向がありがちですから、放送局の判断も世間的に見れば仕方がないでしょう。ただ社会的に正義の砦であるべきマスコミが、この程度のことで世間体を気にするようでは大した報道はできそうにありません。日本のマスコミの軽さを象徴するような出来事でした。

本当は首相はやり尽くしたから辞任したい?

 衆院解散は唐突な話として受け取られていますが、手詰まり感が強い状況からすると首相としては潮時でもあったのではないでしょうか。解散は強気の決断のように見えますが、首相の本心としては、やりたいことはやってしまったから半ば辞めたいということもありそうです。


 首相の至上命令は、まずは財政改革ではなくて、とにかくアベノミクスをぶちあげて経済を少しでも上向かせて憲法改正の道筋を立てることにあったはずです。誤算は、アベノミクスで浮かれている世の中の勢いに乗じても憲法改正には手が付けられなかったことでしょうか。表面的には積極的な女性登用をアピールしつつ、実は極めて右寄り色の強い女性閣僚をずらりと並べても憲法改正には手が届きませんでした。


 それでも集団的自衛権の行使については国民に十分な議論をさせずに可能にしたことは首相の勝利でした。もう一つの大きな成果は選挙公約に謳われていなかった特定秘密保護法の制定でした。いかに保守的な新聞社やテレビ局とはいえ、言論の自由を脅かしかねない秘密保護法案に対していつものように安易な自民党寄りの報道をすれば良識を問われますから、味方に置いておきたいマスコミの事情を慮ってか選挙公約から外しておいたのは首相の作戦勝ちでした。


 こうしてみると政権を奪取するとタイミングを無視して即座に大規模な金融緩和を断行させたのは、実は経済再生というよりは戦争のできる国への回帰が目的であったように思われてなりません。本来ならばまずは思い切った規制緩和を断行して新しい成長分野の芽を育ててから、タイミングを見計らって切り札である金融緩和を実施して設備投資を促すことも可能であったはずです。それを敢えて“アベこべ”にやったところに、ついに行き詰った安倍政権の本質があったと見ぬくべきではないでしょうか。


 本来ならばアベノミクスの3本の矢の順序は逆であるべきだったのですが、それを言う人はいませんでした。私たちは政府やマスコミや経済専門家にまんまと騙されていたのではないでしょうか。

2014年11月18日火曜日

総選挙を前にどうもおかしい東電株の動き

 最近の東電株の動きが尋常ではありません。10月末から信用取引の売り残つまり空売りが急増してとうとう1700万株に積み上がりました。こんなに売りが出れば株価は下落すべきところ、逆に100円上昇して350円から450円になりました。通常の売り残は多くて500万株の水準ですから、常識では理解できない売り残の多さです。

 

 これってひょっとすると与党筋の選挙資金稼ぎの仕業ではないでしょうか。大踏み上げ相場に発展するのか、結局は売り筋が目論む大暴落が始まるのか、しばらくは東電株から目が離せません。ただ進まない廃炉作業に関する絶望的な東電発表を見越した事情通の空売りだとは信じたくありませんが、とにかく薄気味悪い大量の売り残の存在です。

今年のザカーオブザイヤーはこれで決まり!

 トヨタ自動車は12月15日に水素を燃料にして走る燃料電池車を市販すると発表しました。世界初登場の燃料電池車はきっと絶大な反響を呼び、そのうちに注文して1年待っても入手できないくらいの人気になるはずです。値段は723万円ですが国から200万円の補助金が支給されますので、実質523万円です。絶対に安い!


 他の自動車会社の追随を許さないトヨタの燃料電池車は「ミライ」と命名されました。青空や青い海や青い地球をイメージするブルーで仕上げられた車体は所有する者の知性を感じさせるに十分なデザインです。もうポルシェもフェラーリもランボルギーニも相手にはなりません。時間があったら是非試乗に行ってみてください。

笑い話 役人根性

黒猫ディーン 「えらく元気がないねー。」

アベノミクス  「親父に言われた通りにしたのに行き詰っちゃって...」

黒猫ディーン 「それでどうするの?」

アベノミクス  「総選挙をするんだって。」

黒猫ディーン 「じゃ、君は負けたら退散するんだ。」

アベノミクス  「大丈夫。天下り先が決まってるから。」

黒猫ディーン 「!!!」

2014年11月15日土曜日

個別指導は孤別学習で成果は上がらない

 近くに個別指導塾が開設されて半年が経ちました。覗いてみると壁に向けて学習机がズラリと並べられ、それぞれが隣の机と仕切りで区切られています。まばらだった塾生の数は次第に増えてきました。受験生の個々のニーズに丁寧に対応してくれることを期待して個別学習に人気があるのでしょうが、幻想に過ぎません。


 しかし、学習とは知識を蓄積したり技能を身につけて太り続けることではなくて、自分や周囲そして相互の関係性が変化していくことであるとするのが最近の学習理論の視点です。つまり他者との関係性が全くない個別学習塾のやり方とは180度方向性が違った考え方が教育学の分野では主流なのです。


 そこである高校では楽しいグループ研究を取り入れて、グループごとに独自の研究テーマを決めて関連資料を集め、仲間と議論を深め、そしてレポートとしてまとめ上げて発表する授業を始めました。効果は抜群で、その高校は県内でも有数の進学校に変身したそうです。今日の学習理論を巧みに取り入れて学習効果を上げた実例です。

 

 個別指導は確実に勉強時間だけは確保できるという安心感はありますが、他者とのコミュニケーションがまったくないストレスの多い孤独学習を強いる弊害があります。学習塾には多様な方法が束ねられた学びの場を提供する工夫が求められそうです。

2014年11月14日金曜日

猫は風邪を引くと簡単に死んじゃいます

 今日はいつもやんちゃなジェームズが鼻水を垂らして待っていました。大好きな魚の缶詰を与えても食べませんでした。


 家猫が風邪を引くことはまずありませんが、外で生活する猫たちには冬は命を落としやすい最も険な季節です、中でも風邪にかかるとアッという間にあの世行きになりかねず、世話をする者は神経を使います。


 黒猫ディーンのように誰にでも抱っこをせがむような猫ならば、食欲がなければすぐに入院という手がありますが、普通のノラ猫の場合には警戒心が強くて保護はできません。ですから毎日の食事で体力を付けて頑張ってもらうしかありません。


 炬燵で丸くなっていられる家猫とは違って、キャンパスの猫たちにはもっとも辛い季節がやってきました。

2014年11月13日木曜日

総選挙 私たちがCHANGE!できない理由

 衆議院の解散はすでに既成事実になってきた感がありますが、私たちは何度選挙をやってもCHANGEできそうにありません。その理由は理屈では物事を推し進められない国民性によるのかも知れません。


 クレージーキャッツの台詞に「分かっちゃいるけど止められない」というのがありました。理屈は分かるけど世の中はそんなに単純には片づけられないよ、という意味だと思います。これが大人の常識になっているのが私たちの現実です。


 つまり、私たちが大人になるということは、本来ならば時には常識を打ち破る勇気と良識を持って行動できるようになることのはずですが、実際には自分を現実の都合に合わせる‘社会性’を身に付けることになってしまっています。


 官僚は保身に邁進し、有権者は日常から飛び出そうとせず、政治家は理想を語らない社会にCHANGE!はできないでしょう。

2014年11月11日火曜日

年内総選挙!?

 突然に降って湧いたような話ですが、マスコミでは年内に総選挙があるのではないかと話題になっています。もしそうなったら政府はアベノミクスの先行きは絶望的なものとなる可能性が大きいと読んでいると私は考えます。首相は憶測にすぎないとAPEC会議の会見で突き放しましたが、額面通りに受け取るわけにはいきません。


 今日では景気が完全には浮揚しないまま日銀も次第に打つ手がなくなりつつあり、福島の原発事故処理も行き詰まりを見せ始めているなかで、来年になれば消費税上げ、集団的自衛権そしてTPPの問題などが具体化することになります。もしその最中に景気回復に失敗して経済的な破綻が現実化すれば、流石に自民党の過半数は危うくなろうというものです。


 今では産業界も自民党支持で固まっており、建設業界は絶好調の景気状態でもちろん与党指示であり、国民も半数以上が自民党支持、そして公明党はもちろん自民党と共闘体制を取るでしょうから、今が最も自民党にとっては安全な時期であるとも言えそうです。私は99%年内総選挙ありと考えますが、その時はまさに日本経済危うしの黄信号点灯です。但し株式市場は活況を呈して、自民党勝利で年末に日経平均18000円を少し超えるのではないでしょうか。

2014年11月10日月曜日

スケート羽生選手の強行出場

 2014年ソチ冬季五輪の金メダリスト羽生結弦選手が、フィギュアスケートグランプリシリーズ中国杯大会の直前練習中に、他の選手と衝突して負傷してしまいました。激しい衝突の様子から出場が危ぶまれましたが、幸いにも無事に演技を終えられて第2位の成績を残しました。


 羽生選手の演技は夕刻のゴールデンタイムに日本に実況中継されることになっており、そのことを本人は強く意識していたはずです。もし出場を取り止めれば、彼を支援するテレビ局やスポンサーに対して甚大な迷惑をかけ、視聴者も落胆するでしょう。また金メダリストとなってからはお金の稼げるプロ選手としてスケート界を背負っているプライドもあったでしょう。


 羽生選手はそんな状況から動けるならば演技をしたいと決断したに違いありません。彼の強行出場については、体の痛みと心の動揺を抑え込んで必死に頑張る姿に感動したと語るファンもいれば、脳震盪のケースも考えられて危険な行為だったと警告する専門家もいます。羽生選手の話では衝撃がみぞおちに入って動けなかったというのが本当のところのようです。

 

 今やスポーツがビッグビジネスの種になっていて、そこでは感動的なドラマ仕立てが好まれるようです。今回のことに限らず、私たちは案外巧みなマスコミの演出に踊らされているのかもしれません。そんな中で東京オリンピックムードに乗じて1000億円の強化予算を準備して、一人の強化選手に平均1億円なんて甘やかし過ぎではありませんか!

 

 こういうメダルかノーメダルの答えしかでない特定選手の強化に大枚を果たすのではなくて、もっと裾野からスポーツ人口を増やすために市民レベルからのスポーツ振興に活用すべきだと思います。急がば回れです。

2014年11月9日日曜日

お別れのキス?

 我が家の14歳の猫がお盆の頃から急に痩せてきて先日亡くなりました。この猫は診察台に乗せられると恐怖と緊張からか肉球がじっとりと汗ばんでしまうほど臆病者でした。


 私たちはそんな性格を考慮して治療を無理強いせずに、ずっと寄り添ってあげることに専念しました。そして息を引き取る1週間ほど前に、添い寝していた家内に突然「ニャー」とひと声をかけてキスしてくれたそうです。これが残念ながら最後の鳴き声になりました。

 

 動物にも死期の認識はあるのかどうかわかりませんが、最後までトイレに立ちあがって一度もお漏らしをせず、苦しくてもそんな素振りも一切見せず、毅然として立派に生を全うした猫に尊厳死という言葉を実感として教えられました。

2014年11月8日土曜日

原発事故 最終的な責任は国にある

 鹿児島県の川内原発の再稼働は県知事が同意して大きく前進しました。原子力規制委員会が設定する原発の安全基準に関しては、委員長は規制基準を満たしたからと言って安全とは言えないと語ったようです。原発稼働は純粋な経済行為であり、安全基準もその文脈内にあるのですから、科学者としてまっとうな発言です。


 原発の再稼働は、電力会社が事故の可能性を自覚しながらも、確かな意志をもって経済行為として決定するものです。ですから本来ならば事故が発生した場合には電力会社がすべての責任を負うべきです。地元自治体も経済的な利益を求めて同意するのですから、理屈からすれば自力で事故災害に対処すべきです。しかし、原子力賠償法(第3条)は甚大な事故についてはそうは言っておりません。


 問題は、東電福島第一原発事故が起きて分かったように、国家の存立さえもが脅かされかねない緊急事態になった場合には、国家の支援なくしては事故対策は立ち行かなくなることです。つまり原発の安全基準の裏には、想定外の巨大原発事故が発生した場合には、国が対処するという暗黙の了解が隠されているのです。


 原発の地元はお金が欲しい、与党は電力会社の票が欲しい、電力会社は国の権力と税金に頼りたい、原発企業や専門家は既得権益を維持したい。関係者が安易な原発依存を続けてきたのは、事故対策に国民の血税を当てにしているからです。鹿児島県知事が最終的な責任は“国”にあると言い放ちましたが、官僚出身の知事には“国”を“国民”に置き換えて考えてみる良識はないのでしょう。

2世議員と地元民の市民意識の低さ

 自民党の小渕優子議員は関連政治団体の政治資金収支報告書の問題で辞任に追い込まれました。本人は東京で生まれも育って群馬の選挙区とは直接的な縁はないのに、父親の地盤看板を安易に引き継いだ2世議員の矛盾の一端がうかがえる事件といえそうです。


 私たち日本国籍を有する人間をひとくくりにするには国民という言葉があります。国民というのはいわば国家主体の上から目線の意味合いが付きまといます。ですから我々が国家に与えられている権利は国民の権利といい、国家から号令がかかったものは国民運動と言うのが普通です。そうしてみると国民というのは文字通りに国家があってこその民ということになりそうです。


 一方で市民というのは私たちが国家から独立して政治的主体として主張する国家構成員として語られる場合に使われるようです。例えば我々が国家に対して何かを主体的に働きかけていく場合には市民運動と言いますが、一般的には国民運動とは言いません。また国家を優先する保守系政治家が私たちに呼びかけるには市民のみなさんとは言いません。


 今回の小渕優子議員の辞任劇を見ると、2世議員の本質は地元民優先で国民不在であることがよく分かりますが、残念ながらこの地元の有権者の多くが現代の市民の資格に値しないことが最大の問題ではないでしょうか。

2014年11月5日水曜日

栃木県で犬の大量遺棄死骸

 栃木県で大量の成犬の死骸が遺棄されているのが発見されて騒動になっています。おそらくペットショップで成犬になって売れ残った犬を殺処分したあと、産業廃棄物に出す費用を惜しんだ関係者が捨てたものではないでしょうか。


 日本では犬や猫をペットショップで購入するのが一般的ですが、3か月も過ぎれば子犬や子猫ではなくなってしまって商品として売れなくなります。これら成犬や成猫になってしまったペットたちは水も食べ物も与えられずに衰弱死させられたりして、結局は産業廃棄物として葬り去られることも考えられます。今回の事件はこうしたペットビジネスの矛盾に関連したものかもしれません。


 ペット動物たちの惨状が放置されているのは先進国として恥ずかしいことですが、どこかで政治家が業界と絡んでいるのか、行政が積極的に動こうとする気配はあまりありません。どうしてもペットが欲しくなったら、ペットショップではなくて保健所に行って、ガス室送りの運命にある可愛い命を是非とも救ってあげてください。お願いします。

2014年11月4日火曜日

日本の下町の魅力を消すな

 アメリカやヨーロッパの大都市を訪れて目の当たりにするのが貧民街の惨状です。そこでは不衛生な環境と荒れ放題の建物はもちろんのことですが、特に目立つのが治安の悪さです。そんなところに旅行者が不用意に立ち入ると犯罪に巻き込まれかねません。


 東京の下町でも狭い通路が迷路のようにつながっていて、終戦直後の建物が密集している場所はまだまだ残っています。そういった地域では日中でも薄暗くてうら寂しい感じはしますが、身の危険を感じるようなことはありません。そこが日本の下町の魅力と言えるのではないでしょうか。例えば月島界隈などには近代的な超高層建物が林立するすぐそばで昭和初期の懐かしい雰囲気を残す区画が生き残っています。


 最近は日本でも貧困に苦しむ人々が増えてきていますが、貧しくとも人情味豊かな安全な下町の存在は日本の良識の砦です。

2014年11月3日月曜日

日本の保守派の人たちがはまる落とし穴

 フジテレビなどのキャスターとして知られた竹村健一氏が著した「私も原子力が怖かった」(サイマル出版)を読み直してみると、竹村氏ほど多くの情報源を持っている人でも東電福島第一原発事故の可能性を意識的に排除していたことが分かります。特に気になるのが、合理的な根拠を示すべきところを日本人の美徳で片づけてしまっていることです。これは保守的な人たちのもっとも陥りやすい落とし穴ではないでしょうか。


 教育勅語がまだ世の中を律していた時代には、日本は世界的に立派な国、日本人は世界に誇れる優秀な国民などという思い上がりが社会を染め上げていました。庶民はそこに強い疑念を抱きながらも、軍政下の統制社会では何とも声を上げることはできませんでした。


 竹村氏は次のように信じていました。「核燃料は....封入されている。その外側を「原子炉圧力容器」と呼ばれる大きく頑丈な鋼鉄の容器で包み、さらにその外側を「格納容器」という大きな鋼鉄の入れものですっぽり囲み、そのまた外側を厚いコンクリートの「遮へい壁」が外部と遮断している。死の灰が、これらのあらゆる防壁を突き抜けて、外部にばらまかれることなど考えられない。」(p.34)


 そして「また、安全性確保は、日本がどの国よりも厳しく優れているという。それは、日本人の国民性と合わせて、“核アレルギー”なるがゆえの慎重さによるものだろう。」(p.47)と結論しています。竹村氏の真骨頂ともいえそうな仕上げ方ですが余りにも観念的過ぎます。今、竹村健一氏は原発について何を考えているのでしょうか。

恩師の言葉 生活保護があるさ

 私が尊敬する恩師に薬害裁判で被害者グループの裁判費用を自宅を担保に入れて支援した先生がいます。患者さんたちに、訴訟に負けたら自宅は没収されますよと言われたら、先生は生活保護があるからいいよと答えたと聞いています。私の恩師はいつも自分の人生を賭けて真剣に人と接していたことがうかがわれます。


 吉本隆明、山本哲士の対談集「教育 学校 思想」で、山本氏は、対関係のなかに相手であれ自分であれ「死んではいけない」という観念が入り込んだならもうダメだ(p.101)と語っています。私は、自分が可愛くて山本氏の言うダメな人間関係のなかで事を済ませることのないように、いつも恩師の言葉を戒めにしています。

2014年11月2日日曜日

原発のない社会 余裕があったらトヨタFCVを買おう

 トヨタは水素を燃料にして走るエンジンのない自動車FCVを市販します。一台1億円とも言われていた価格を700万円の水準まで低下させた技術力と情熱は敬服に値します。


 水素は電気を使ってガソリンや天然ガスから製造することが可能ですが、それでは炭酸ガスが発生しますし効率もよくありません。また水を電気分解しても作れますが、これも貴重な火力発電による電気を消費するのでは効率的には感心しません。


 また原発は安全上の理由から出力を調整できませんから、夜間に電気需要が急減すると大量に余剰電気が発生します。そこで原発の余った夜間電気を使って河の水をダムに引き揚げて電気を間接的に蓄えていました。人類はこれまで電気を大量に貯蔵する方法を知らなかっために、このように非常に効率の悪いことをするしかありませんでした。


 原発に固執する電力会社は太陽光発電や風力発電で生まれる電気を厄介者扱いしていますが、自然の恵みから生まれた電気で水素を作り、これを圧縮してボンベで消費地に運べば効率の良いエネルギー生産が可能となります。最近注目されている大容量の蓄電池も不要です。現にカナダでは余っている水力発電で水素を生産して日本に売り込もうとしているようです。


 このように水素は電気の塊と考えることが出来ますから、水素エネルギー社会の到来はクリーンで平和な再生可能エネルギー時代の幕開けと言えるはずです。余談ですが、トヨタFCVをレース用にチューンしたら、ポルシェもフェラーリもランボルギーニも目じゃないですよ!とにかく凄いんです。

単身赴任はパワハラである

 自宅からは通勤できない遠隔地に転勤を命じられて、親の介護や子どもの教育の問題から泣く泣く単身赴任という選択を強いられるサラリーマンは稀ではありません。


 外国に単身赴任して何年も頑張っているお父さんを子どもがドッキリ訪問して泣かせるテレビ番組があります。お父さんと子どもの感激の対面シーンは、一生でいちばん一緒に生活したい時期に離れ離れに暮らす、お父さんや子どもの深い悲しみや葛藤を覗き見るようで、私はいつも複雑な気持ちになります。


 せっかく念願の新居を購入して、いざ家族の幸せな家庭生活をと願ったとたんに転勤を命ぜられて単身赴任というケースを、私はこれまでに何人も見ています。こうした非情な人事は、故意にそうした時期を狙ったのではないにしても、社員が会社への忠誠度を試されているようでパワハラの印象をぬぐいきれません。単身赴任をなくすことはできないものでしょうか。

2014年11月1日土曜日

永田町・霞が関を原発被災地に移転し、バイリンガル自由特区を

 財政破綻が懸念される地方自治体へのテコ入れ策として、政府は地方創成に来年度は1兆円の予算を付けて必死です。そのために観光立国案などが有力視されていますが国民があっと驚くような妙案はありません。


 そこですっかり立ち消えになっている首都機能移転計画を復活させて、最有力候補地だった那須に近い放射能汚染に苦しむ原発被災地に移転するというのはどうでしょう。これで福島第一原発周辺地区には一挙に数十万人都市が生まれるはずで、食料品も地産地消にすれば福島県の農業も間違いなく復活します。そして週末には政治家や官僚のみなさんには悪いですが事故サイトで作業してもらいます。


 国会や官庁の移転で永田町や霞ヶ関界隈は空き地となり、大規模な民間主導での都心再開発が可能になります。外国の大使館や領事館も多くは移転するでしょうから、そうなれば赤坂・青山や六本木地区の一等地でも新規に住宅地が大量供給されます。


 具体的に計算してみますと約1㎢の空き地が供給されそうで、土地代は5兆円になります。土地の容積率を1200%に設定すれば一戸当たり100㎡として12万戸の住居が建設できる勘定です。土地の払い下げ価格と建物の建設費を含めると総額10兆円規模のプロジェクトです。そしてこの地域を思いっきり規制緩和するとともに日本語と英語のバイリンガル特区にします。


 都心のど真ん中にこんな地域ができたら、そこからどんな文化やビジネス風土が醸成されるか興味は尽きません。これこそ日本の構造改革につながるのではないでしょうか。