私の講義では黒板に沢山書くことで有名で手が疲れるということで嫌われているようです。パワーポイント全盛の時代にまだ黒板かと呆られる人もいるでしょう。
かなり昔の話ですが英語学習にテープレコーダーなどを組み入れたシステムが流行して、教育機関にその設備がないと白い目で見られるような雰囲気の時期がありましたが、結局そのうちにそのシステムはどこでも廃棄処分されて消えてしまいました。それとパワーポイントを比較するつもりは毛頭ありませんが、授業は何でもパワーポイントだデジタルだというのには少し抵抗を感じるのです。
学生さんはパワーポイントで講義をするとほとんど誰もメモを取ろうとはしません。だからかどうか分かりませんが通常は準備良く発表内容を印刷して前もって資料として配布してくれます。パワーポイントではなんとなく分かった気分になり、そのうえ資料も手元にあってみな安心してしまい、誰も手を動かしてメモまで取ろうなどとはしないのが実情です。
メモを取るために手や指を動かすことの主な意義は大脳を活性化することにあります。皆さんは一度くらい脳の断面図の周りに手や足や口が異常に大きく表現された気味の悪い人間が貼りついているのを見たことがあるはずです。これを思い起こすと手指や口唇への刺激は脳に大切な刺激になっていることがよくわかります。
つまり今日の大学の講義では視る聴くということが主体になって手指や口唇の刺激となる書く話すという行為が脇に追いやられてしまいがちです。大脳にとっては刺激のバランスが悪いのです。
もうひとつパワーポイントでいいたいことは、画面と画面の連続性が弱くて話に流れるような物語性を感じないことです。例えて言えばパントマイムでなされる不自然なロボットの動きを想起してください。とてもよくできていて感心はするのですがやっぱり自然な人間の動きとは比べようがありません。
今後パワーポイントの技術がどんな流れを作り出して社会に貢献していくか、アナログ支持派の私は注視していきたいです。