2013年1月27日(日)朝のフジテレビの新報道2001で体罰について各界の専門家が真剣に議論しておりました。
ここでは、人類はコミュニケーション手段として言葉を進歩させながら、より平和な社会を築き上げてきた歴史について語る人はいませんでした。この事実をしっかりと踏まえていないと、ある程度の体罰は必要だとか、必要な場合もあるとかいう焦点の定まらない堂々巡りの議論に陥ってしまいます。
考えてみましょう。たとえば言語の異なる人たちの間の交流で、いくら説明してもどうしても分かってもらえないから暴力に訴えようなどということが、今日でも許されるでしょうか。
暴力なくして自分の言い分を理解してもらうためには、相手の言語を必死になってマスターする大変な努力が必要になります。その努力はコミュニケーションを円滑にするためにはどうしても払わなければならない貴重な代償です。
結局は言葉を限りなく重んじて限りなく自己研さんに励むことこそが暴力抑止にもっとも有効な手段ではないでしょうか。