私は学生さんに毎週作文を書いてもらいます。その内容を丹念に読み添削させてもらうのですが、みな内容が無難すぎていわば顔なし幽霊みたいなものが目立って不満です。
具体的に説明しますとたとえば提出された作文を返却するときに誤ってA君のものをB君に渡してしまったとします。こんなことになっても多くの場合にあまり不都合が生じないのが実情です。
もう少し卑近な実例で説明するならばテレビのニュースです。どこもみな同じような無難な内容で局独自の取材による味付けがほとんどありません。聴いているだけでは何処の局のものなのかわかりません。日本ではり調査報道という意識が薄いからでしょう。
作文にしてもニュース報道にしても、こうなる原因は自分の日常の行動や思考を具体的に注意深く観察して表現する能力が教育的訓練によって与えられていないからだと私は考えています。
ここで面接の話に進みます。面接で発言する内容は具体性に欠けた誰にでも当てはまるようなものでは注目されません。これぞあなただという具体性に富んだあなた自身の体験を自分流の味付けでいくつか語れるように前もって考えて面接に臨みたいものです。
例えばの次の話をどう思いますか。
冬休みに大学主催による東日本大震災の被災地復興支援ボランティアに参加して今も続く被災地の惨状を眼のあたりにしました。そして仮設住宅を訪れました。断熱性の低い住居でお年寄りが寒そうに不便な生活を強いられている様子を見てとても心が痛みました。
これだけでは誰でも感じることで陳腐なマスコミ報道と同じです。せっかく被災地に足を運んだのですからあなた自身の物語を見付けてください。例えば住民の人たちと会話した内容から自分を描き出すとか,,,