小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2013年1月28日月曜日

湖型社会と荒地型社会

 湖面に石を落とすと波紋が次々に広がっていきます。しかし荒地に落としても落下地点からはほとんど何も周囲に伝わっていきません。私達の社会をこれらに例えていろいろな社会問題を考えてみると案外考察の手順が見えてきます。

 例えば体罰事件でその学校の入試が中止されたとします。すぐに何の関係もない受験生が可哀想だという声が上がります。本当に受験生は事件とは何の関係もないのでしょうか。

 私はそうは思いません。私たちが湖型社会の一員とするならば事件とは無関係であるはずはありません。無関係であると考えるその無関心こそが社会を荒れ地型に劣化させていくのです。

 それでも受験できない高校生が可哀想といわれるかもしれません。確かに受験チャンスを奪われる悔しさはよくわかります。しかし自分の不運を理由にして先々の人生を嘆くことにならないように、あらゆる可能性を前もって想定して心の準備をしておきたいものです。

 昔『無関心』というシャルル アズナブールが歌うシャンソンをパリで聞いたことがあります。当時は何言っているのだろうとまったく他人事のように無関心でしたが、近頃は鋭いことを歌っていたんだと感心させられます。