小学校の算数の世界では具体的な数字を使って計算の仕方を習います。例えば2+7とか10÷5などです。ところが中学の数学の世界になりますと数字がアルファベットなどの文字に変わります。たとえばa÷b=a/bなどです。この数学の世界は概念的思考の世界への入口のひとつと言えるでしょう。
私たちは子どものころはA君にケンカで殴られたとか訴えたりしますが、それが暴力反対という表現までには発展しません。つまり幼少期には概念的思考ができなくて具体的な『僕と君の個人的関係』で思考が展開されます。そこでは社会の一員という意識はまったくありません。
私は概念的思考ができるようになるためには教育が果たす役割が大きいと考えます。ひょっとすると教育が人間の発達に作用できるとしたらこの点だけなのかもしれません。これを説明するにはハイデッガーのいう『顧慮』の概念にまで触れなければなりませんからまたにします。
概念的思考のための教育的訓練が十分になされないと成熟した社会の一員として物事を客観的に見る視点を欠くことになりかねません。近頃社会が右傾化したと危惧されるのはこの概念的思考ができない人が増えてきたせいなのでしょうか。気になります。