小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2014年10月27日月曜日

今日の危険ドラッグの危うさ

 最近の危険ドラッグによる事件報道に触れると、従来からの薬物依存とは違った大変に忌々しい問題になりつつある感じがしてなりません。その理由を日本の歴史的な背景に触れながら説明したいと思います。


 薬物で代表的なものは麻薬です。その中でも阿片は中東地域では古代から知られていて吸煙されていました。お隣の中国で依存症を起こす吸煙が始まったのは17世紀中葉頃だったと言われます。日本では薬の原料として江戸時代の和薬種六箇条(1722)に記され、幕府の監視の下で正式に国内流通することになりました。


 明治政府は阿片流入による社会の混乱から西欧先進国の植民地化するのを警戒して特に阿片吸煙を厳しく取り締まりました。まず阿片の国家管理を従来より一層強化するとともに不正販売は死罪に処することにしました。一方で輸入を減らすために国内増産にあの手この手を尽くしましたが結局は生産量は停滞しました。


 明治政府の目論見は見事に外れ、阿片の国内大増産政策は失敗に終わりました。おかげで阿片の横流しの起きる余地はなくて、不幸中の幸いというか国家管理の水漏れを防ぐことになりました。そして大正・昭和の戦争時代となると阿片は軍部の厳しい管理統制下に置かれて不正流通の余地はありませんでした。こうして日本国内で阿片禍は起こりませんでした。


 しかしながら、危険ドラッグについては製造拠点の把握は難しくて野放し状態にあり、販売にはインターネットが利用されて統制が難しく、すべてが後追いの対策になってしまいます。こうして終わりのないモグラたたき状態となり、危険ドラッグの流通量は増え続けることになるでしょう。厳罰で対処するしかないのかもしれません。