小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2014年7月18日金曜日

マザーテレサと鴨長明

 サライ2013年3月号にドナルド キーンさんの「方丈記」のお話しが掲載されていました。特に私の興味を引いたのは鴨長明が方丈記を執筆した方丈の庵(いおり)の復元写真です。


 一切の装飾性を廃した簡素な部屋の作りは不思議にもマザー テレサの部屋に通じるものを直感しました。私の感じですから大きな誤解かもしれません。しかしこの誤解を根拠に両者について私の持論を述べます。


 私は中学時代に「方丈記」と出会いました。何か自分の人生観がそこにあるように思われ居心地の良さを感じました。これでは私は大した出世人間にはならないなとはっきりと自覚しました。そして私の人生は当時の直感通りになりました。


 さて鴨長明とマザー テレサの世界を対比させて人の生き方について考えてみます。鴨長明は世の中から一定の距離を持って厭世感のなかで精神生活に浸っていました。一方でマザー テレサは社会の掃きダメのような世界に身を投じて積極的に社会の矛盾に挑戦しました。

 

 ふたりは質素を旨として信念をもって社会と対峙しました。両者の時代背景は大きく相違しますが、それぞれがひとつの挑戦的人生の典型であったと思います。私たちはマザー テレサと鴨長明を結んだ座標軸の上でどのあたりで人生を歩んでいるのでしょうか。