小室圭さんをシッタベンレイ
ノーと言って金満世界を変えよう
とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。 東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。 そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...
2014年7月31日木曜日
2014年7月30日水曜日
それでも再稼働をしますか
原子力規制委員会は原発の重大事故の場合には作業員の被曝線量を100ミリシーベルトから500ミリシーベルトに引き上げようとしています。
原発の再稼働が強行されて再び重大事故が起きた場合には、福島の場合のように作業員に死者が出ないと考えるのは楽天的過ぎます。ですから許容される被曝線量の上限値を上げたいのは当然でしょう。
ただ重大事故時の決死隊の作業員には死の覚悟が求められるべきで、被曝線量に上限値が設定されていることなどナンセンスです。原発事故を終息させるためには多くの国民が死なねばならない場合もあるという認識が必要なのです。
つまり原発というのは、いったん重大事故が起きたら、多くの人たちに死んでくれと言わなければならないという前提があって初めて成り立つテクノロジーなのです。その証拠に国際放射線防護委員会は救命活動に携わる作業員には上限値を設けていません。当たり前のことです。
少なくとも原発の再稼働に賛成する人たちには、自分たちの都合を優先して、こうした残酷な認識を共有しなければならない社会のままでいいのかを、私は厳しく問いたいです。
2014年7月29日火曜日
欧米と日本の落書き事情
最近は駅や大学などのトイレに入っても落書きにお目にかかることはすっかりなくなりました。かつての大学のトイレは学生運動の立て看板の要約版、駅のトイレはエログロの世界と決まっていましたが、今ではその面影はまったくありません。
私が住んでいたヨーロッパやアメリカの塀や建物の外壁には大規模な落書きは至るところにありましたし、今でもあるでしょうが、不思議なことにトイレではあまり見かけませんでした。日本はトイレにあって戸外で少なく、欧米では戸外に多くてトイレに少ない理由は分かりませんが、何となく気になります。
カジノ産業誘致は正解か
日本経済再生本部の成長戦略ではカジノが目玉政策のひとつです。自治体にはカジノ誘致に走る前にもう少し地道に地域復興のために知恵を働かせてもらいたいものです。特にカジノ産業は地場産業ではなくて国際ビジネスであることを忘れてはなりません。
典型的な失敗例が、国際競争に負けてブームが去って財政難に陥っている米国のアトランティックシティーです。広告塔フランクシナトラやハリウッドのセレブを活用して地域復興に成功したラスベガスのような例もありますが、そのラスベガスはもちろん、マカオそしてモナコなどと国際競争して生き延びていくのは至難の業でしょう。
ここで都心の高級マンションの上層階にホテルと同居するカジノ店を想像してみるといいでしょう。そういうマンションに家族とともに生活したいかと問われれば答えは明らかにノーです。カジノ産業は、人間の本能的性向を商売に利用するビジネスともいえ、極端な言い方ですが行政ぐるみの合法的売春ともいえそうです。
厳しい国際競争にさらされて、外国人客を呼び込むために結局は高級売春と一体化させて生き延びているカジノ都市もあります。そうなるともはやカジノ街は売春街と化すこと請け合いです。これでは吉原の現代版といっても過言ではないでしょう。
2014年7月28日月曜日
危ない言葉のすり替え
政治の世界では問題の本質に触れることを避ける言葉のすり替えが流行しています。国民を説得するのは無理と知ると論理性ではなくて強引に数の力で押し切ろうとする雰囲気もあります。それに抵抗すると権力を笠に着て恫喝をしてきます。
例を挙げれば、集団的自衛権、積極的平和主義です。現行憲法の改正は国民が同意しないであろうと読んでか、筋違いの積極的平和主義という言葉を持ち出してきました。その本来の意味は、武力に頼らず可能な限り貧困や格差などを減らしながら、社会を善意に満ちた世界にして平和を実現しようとする考え方で、首相が用いる意味とはまったく正反対なものです。
原発の新規制基準というのもかつては安全基準といわれておりました。しかし福島の事故を経験してさすがに安全というのはおこがましいと考えたのか、新基準と呼ばれるようになりました。しかし、それで事態が改善されて原発事故を確実に防げるわけでもありません。
こうした言葉のすり替えで問題の本質に触れることを避けてばかりいると、結局は社会が虚構に充ちた疑似世界となってしまいます。すると現実との間にできるかい離から矛盾が矛盾を呼び、最終的には社会が崩壊します。太平洋戦争がその典型です。
2014年7月27日日曜日
玄米のおかげ
歳を取ってきて消化器の機能が低下してきたのか便秘気味になってきました。玄米食が良いと聞いて早速玄米を購入して食してみました。2日間で抜群の効果が表れ、これまで玄米の良さに気が付かなかったことが悔やまれてなりません。
玄米を美味しくいただくには、就寝前に炊飯器に記されている玄米用の水の量の1.5倍を加えて玄米をセットします。そして7時に炊き上がるようにしておけばすべてOK。こうすれば高価な特別な玄米を購入する必要はまったくありません。
朝晩に茶碗一杯を食べれば翌日から快調です。快食快便快眠のためにまずは玄米食をお試しください。
2014年7月26日土曜日
笑い話 整形手術の時代
「あらっ、お久しぶり!」
「えっ?あなたは...」
「いやだー、私よ、私。」
「えーっ、信じられない!」
「でも、あなた全然変わってないわね!」
「あら、やだ。それってお互い様でしょ。」
2014年7月25日金曜日
売れないロールスロイスの話
ある週刊誌の見出しを見ると、あるタレントが売りに出したロールスロイスを7000万円から4000万円に値下げしても買い手がつかないと書かれています。今はどうか知りませんが、私が住んでいた頃のロンドンではロールスロイスは街の当たり前の風景でした。
日本のバブル期には都内でもロールスロイスをたびたび見かけましたが、ロンドンと違って所有者が自分でドライブしておりました。馭者の繰る馬車代わり感覚のロールスロイスはお抱え運転手に運転させて後部座席にふんぞり返って乗っていないと様になりませんから、何だか本人がマイカー感覚で使っているのには違和感を感じたものです。
日本でもお抱え運転手に運転させる高級車はトヨタのセンチュリーと決まっているようですが、中古で出たものを運転している若者などを見かけることがあります。そんな時には奇妙な感覚を持つのはちぐはぐな取り合わのせいだと思います。
このエコの時代に都内でロールスロイスに乗って様になるのはどんな人なのか、大幅値下げしても売れない話を知って考えてしまいました。
2014年7月24日木曜日
日本のネコとフランスのネコ
ネコ好きで知られていた藤田嗣治画伯(1886~1968)は、‘あちらの猫は、どんな猫でもちっとも人を怖がらず、平気で向こうから寄って来るが、日本の猫は呼んでもやって来る様子もない。これはどうも面白くない。’(藤田嗣治画文集 猫の本、講談社)と語っています。
私がパリなどフランスにいた時にはネコに出会った記憶はありません。大西洋岸の港町にもしばらく生活していましたが、やはりネコを見たことはありませんでした。藤田画伯の文章は第二次世界大戦の真っただ中の1942年のものです。その頃はパリにはネコがたくさんいたのでしょう。
彼はフランスで見かけたネコたちは野良猫を含めてみな器量よしだとも書いています。つまり町の人たちに愛されて生活していたのでしょう。大戦の真っただ中でもパリの住民は粋だったんですね。
お互いに気楽にお世話になろう
我が家の近くで一人住まいのお年寄りが室内で転んで腰椎を骨折しましたが、大事に至らず2ヶ月ほどで回復しました。しかし療養中は動くと強い痛みがあって日常生活がままならず、これが大きな精神的ストレスの原因となり、認知症の初期症状も出てしまいました。
そのために一か月ほど老人ホームに入所しましたが、施設で死ぬ不安にさいなまれてか認知症の症状がさらに進行してしまいました。結局は親の様子を心配した家族が1か月で施設を退去させて自宅生活ができるようにあらゆる手立てを施しました。しかし、何とか日常生活に戻れたのは私たち隣人の手助けがあったからでした。
私たちの支援は物理的なものでしたが、当のお年寄りにとっては大きな精神的な支えにもなったようで、独居の不安が薄れて認知症の改善にも絶大な効果をもたらしました。地域住民の助け合いの習慣がなくなっていく弊害を補っているのがお金の掛かる介護保険制度や有料老人ホームなどですが、お年寄りの幸福とは直結しないことを再認識した出来事でした。
2014年7月22日火曜日
2014年7月21日月曜日
原発事故に懲罰的賠償支払い義務の導入をしよう
新聞報道(東京新聞朝刊、7月21日)によれば、米国フロリダ州裁判所では米大手たばこ会社に対して約2兆4000億円の懲罰的賠償支払いを命ずる評決が下されたといわれます。タバコとがんの疫学的関連性は否定しがたいものであり、喫煙者に死者が出るのは分かっていて販売するのですから、犠牲者の損害賠償請求はあながち非常識な言いがかりとはいえません。
東電福島第一原発の事故以後についても、原発が再度重大事故を起こしたら、歴代の首相、東電幹部、そして原発の地元政治家は連帯して懲罰的損害賠償金の支払い義務を負うという仕組みを作るべきではないでしょうか。もちろん、この義務は本人死亡後も相続されるとすれば逃げ道はなくなります。
東日本大震災以後の原発再稼働への動きは強引過ぎます。自己都合ばかりを優先して無責任で懲りない人たちの暴走を防ぐには懲罰的賠償責任を負わせるしかないでしょう。
ワールドカップの敗北
NHKのインタビューで吉田麻也選手は‘いつもはできることができなかった’と語っていました。
しかし、ワールドカップの試合でいつも出来ることが出来なかったというのは、要するにワールドカップ級の実力がなかったということではないでしょうか。
ビジネスに走り過ぎた感のある日本チームは、真摯にスポーツの原点に立ち戻って再出発しなければ、未来はないのではないでしょうか。
NHKは民放タレントを使わないでほしい
近頃特に気になるのがNHKの番組に他の民放局などで活躍するタレントが大挙流れ込んでいることです。自前の人材で済むことを何故わざわざ民放タレントに依存しようとするのか私には理解できません。
定められた予算内で賢く報道するには有能なNHK職員の力を活用しない手はありません。タレントは番組をリードしているように見えてはいても、力不足・勉強不足は否めず、結局はNHKの共演者に助け船を出してもらっているのが実情です。
民放の有名タレントに頼って視聴率を上げたい意図があるのかもしれませんが、NHKの実力からしたらそんな姑息なことをしなくても、十分に内容で勝負できるはずです。
2014年7月20日日曜日
change.org っていったい何なんですか
私は犬猫殺処分ゼロを期待して change.org のキャンペーンに賛同してネット署名をしました。しかし、その後はゼロ問題については何の音沙汰もないのに次々にいろいろなキャンペーンがメールで送りつけられてきます。私が質問をしてもまったく反応はありません。
インターネットを利用して、ああしよう、こうしようとキャンペーンを打って賛同者の数集めをしてサイトの価値を高めようとするだけで、具体的に何がしたいのかよく分かりません。まさか主宰者等が次回の選挙に打って出るなどということにならないことを願っています。
2014年7月19日土曜日
サッカー日本代表チーム 国産監督ではダメか?
私には日本代表サッカーチームの監督がいまだに外国人であるというのが不思議でなりません。オシム氏やザッケローニ氏に不満だったというのではなくて、発展途上の日本チームとはいえチーム育成に信念と工夫がないのが気になるのです。
ブラジルワールドカップの試合では、大久保選手がハーフタイム時にザッケローニ監督のところに話をしに行ったそうです。こうした緊迫した状況での会話には、日頃からのコミュニケーションの積み重ねという脈絡が大切ですし、私の経験からは通訳を介してのものでは真意はほとんど伝わりません。
今回のワールドカップの日本代表チームには、どう贔屓目に見ても決勝戦に相応しいような十分な実力を備えた選手はひとりもいませんでした。それでも優勝などと大口を叩く一部の選手が企業CMに引っ張りだこであったのは、日本でもサッカーがお金になる一級のスポーツに育った証だったと思います。
ワールドカップの大敗を契機にして、企業からのお金を求めてビジネスに流れ過ぎることなく長期的な視点で日本サッカーの育成を考えてもらいたいところです。
2014年7月18日金曜日
マザーテレサと鴨長明
サライ2013年3月号にドナルド キーンさんの「方丈記」のお話しが掲載されていました。特に私の興味を引いたのは鴨長明が方丈記を執筆した方丈の庵(いおり)の復元写真です。
一切の装飾性を廃した簡素な部屋の作りは不思議にもマザー テレサの部屋に通じるものを直感しました。私の感じですから大きな誤解かもしれません。しかしこの誤解を根拠に両者について私の持論を述べます。
私は中学時代に「方丈記」と出会いました。何か自分の人生観がそこにあるように思われ居心地の良さを感じました。これでは私は大した出世人間にはならないなとはっきりと自覚しました。そして私の人生は当時の直感通りになりました。
さて鴨長明とマザー テレサの世界を対比させて人の生き方について考えてみます。鴨長明は世の中から一定の距離を持って厭世感のなかで精神生活に浸っていました。一方でマザー テレサは社会の掃きダメのような世界に身を投じて積極的に社会の矛盾に挑戦しました。
ふたりは質素を旨として信念をもって社会と対峙しました。両者の時代背景は大きく相違しますが、それぞれがひとつの挑戦的人生の典型であったと思います。私たちはマザー テレサと鴨長明を結んだ座標軸の上でどのあたりで人生を歩んでいるのでしょうか。
少女誘拐と都会の死角
私は案外お節介な性格なのか、自宅周辺に不審者や不審車を見つけると必ず声を掛けます。私はそのためにある事件の犯人と遭遇したことがありました。
ある隣家の軒下に身を潜めるようにしてケータイを見ながら暗くなるのを待っていた男がいました。私が声を掛けると、彼は無言で立ち去ろうとしましたが、私は追いかけてもう付近には来ないように厳しく伝えました。その後に新聞報道で彼が凶悪犯であることを知って仰天しました。もし私が声を掛けていなかったらきっとまた恐ろしい事件を起こしていたでしょう。
岡山の少女行方不明事件でも何度も不審車が目撃されていたようです。もし現場周辺にも私のようなお節介な住民がいて、不審者にしつこく声を掛けていたら、顔を知られた男は警戒して現れなくなったかもしれません。
まっ、そういう私もお節介過ぎて怒鳴られたことがあります。女性の後を追いかけるように執拗に付きまとう酔っ払いを発見して厳しく注意したら、犯人(?)は女性のご主人でした!とにかく勇気をもって地域の防犯に大胆に貢献しましょう。そして岡山の不明少女の無事を心から祈ります。
2014年7月17日木曜日
一番幸福な猫
大学に行ったら昔の同僚から、キャンパスで一番幸福な猫の話を聞きました。
キャンパスでは大規模再開発が進行中で沢山の工事関係者が働いています。その人たちに保護された猫が現場のニャンキ者になっているという嬉しい便りです。
野良猫を大切にしてくれる作業員たちが、見て見ぬ振りをする大学関係者と正反対の反応を示したことがとても気になりました。
猫の命は人間の命のずっと向こうにあるのは確かですが、工事現場の人たちの心の中では、その距離感が大学関係者とは違ったのでしょう。
2014年7月16日水曜日
仕手株になった東電株
福島第一原発の汚染水処理や廃炉事業の負担で身動きのとれない東電ですが、今年度は帳簿上は黒字決算となり、倒産危機は当分はなくなりました 。しかし、所有原発の廃炉や使用済み核燃料の保管などの費用を考えると天文学的な負担額となります。
福島の廃炉計画の約束さえ疑わしいなかで復配などというのは現状では夢物語ですから、配当利回りという観点からは、東電株への投資効率はゼロとなります。つまり、東電株は一般投資家にはアンタッチャブルなはずですが、いろいろな材料に勝手な講釈が付けられて地合いは盛り上かり、株価の急騰が演出されます。
近頃の5分足の動きを見ていると一瞬のうちに1%ほど急騰して急落することが毎日一回あり、誰か仕掛人がいて株価を動かしているのは間違いありません。こうして一般投資家の提灯買いや狼狽売りを誘って出来高を稼ぎ、利益を上げているのでしょう。
2014年7月15日火曜日
笑い話 ホームで再会 初恋の人
「おっ、おっ、おれはおっ、おっまえが...すきらった。」
「わっ、わっ、わらしも、あなたが...すきらった...わ。」
「こっ、こっ、こんなとっとっころれ、さっ、さいかいするらんて...」
「でっ、でも、あっ、あんた、あれから、オッ、オムツ、はっ、はずれなかったのね...」
2014年7月14日月曜日
ネコを保護する浮浪者
昨日は9匹のネコと一緒に路上生活をしている浮浪者に会いました。ネコたちはよく手入れされていて、全員が幸福そうな表情をしてお昼寝中でした。そばに募金箱が置いてあったので小銭をありったけ投げ込んでおきました。
彼と猫談義をしている間には沢山の通行人が通り過ぎていきましたが、ネコに声を掛ける人はひとりもいませんでした。私が恰好の相談相手になってしまったようで、尋ねもしないのに一匹の三毛猫を見せてくれて、歩行中に急につまずいたように倒れる理由が分からないかと聞かれてしまいました。
彼が路上生活を始めた理由は聞きそびれましたが、その表情は通行人よりも柔和で、その笑みにはかすかに温もりさえ感じました。動物への無垢な愛情が生活環境の苦しみから彼を救ってくれているのでしょう。愛する者は救われるとはこういうことなのでしょう。
2014年7月13日日曜日
サッカーワールドカップ
ドイツ対アルゼンチンの決勝となりましたが、私の予想は2対1でドイツの勝利と予想します。ドイツのスポーツと言えば自動車レースとサッカーしかないといっても過言ではありません。いわばサッカー王国の面目を賭けた勝負になりそうですが、やはりアルゼンチンはメッシひとりではつらいところではないでしょうか。起きたら結果は出ていることでしょう。
結果 ドイツが2対1で勝利でした。決勝にふさわしい死闘で両チームにありがとう。
結果 ドイツが2対1で勝利でした。決勝にふさわしい死闘で両チームにありがとう。
2014年7月11日金曜日
甘いリスクマネジメント
ベネッセの顧客情報が名簿業者を介して競争相手のジャストシステムに流れたことが発覚して、企業の個人情報管理体制に潜む危険性が改めて明らかになりました。
ジャストシステム側が、出所に疑問を持たずに百万件単位の個人情報を購入したというのは、常識では考えられません。コスト削減のために社内でコンプライアンスが軽んじられていたとしか考えられません。
またベネッセ側も外部委託の保守点検には社員が同席するくらいの慎重さが必要でした。ベネッセ側は完璧な方法はないと考えているようですが、そう言う前に打っておくべき手はあったはずです。
どちらにしても今回の事件は企業が利益を優先し過ぎた結果として、起きるべくして起きたと言えるのではないでしょうか。
素の自分を取り戻そう
潮時にありながらも苦境の中で孤軍奮闘している人たちの話を聞くと、ここで投げ出しては今までの努力が水の泡だとか、誰かには負けたくないから頑張ってきたのだからとか言われます。こうした努力=見返り=社会的評価の獲得という公式を信じて生きるのを打算というのではないでしょうか。
私がキャンパスのネコの世話をするのは見返りを求めての行動ではありません。私にとってはネコたちの元気な姿が唯一の見返りとは言えますが、これが社会的に評価されて自分の都合が良くなるというわけでもありません。だからこそ、私を引き継いでくれる人がひとりとして出てこないのでしょう。
自分の都合や打算を先立たせて世知辛い世の中の正会員でいると、歳を重ねるほどに‘素の自分’が遠ざかっていってしまいます。
2014年7月10日木曜日
どうにもならない
日本人は、財政難がささやかれるギリシャ、スペイン、ポルトガルそしてイタリアの国民などと比較しても、勤勉さでは勝るとも劣っていないはずです。それなのに日本政府の借金は国民総生産の2倍を超えて国際的に比較してみてもダントツ1位です。
私たちがどんなに頑張ってみても、この国家の借金体質が改まらない限りは、生活はますます苦しくなり、休暇も増えるわけでもなく、税金だけが重くのしかかるばかりでしょう。日本がこんなことになってしまったのは、おそらく明治時代から役人天国が続いてきたせいではないかと思っています。
日本に無駄な規制が多いことは、私の経験では大学の学科新設の認可を取得するために必要な書類の量を見て実感しました。それはアメリカの場合と比較すると優に10倍になります。こうした非効率のお蔭でたくさんのお役人が生活しているのですからどうしようもありません。
2014年7月9日水曜日
アメリカで教わったセクハラ
お恥ずかしいことですが、私がセクハラの問題を初めて認識したのはアメリカの大学で理事をしていた1989年でした。当時のアメリカの大学ではセクハラ対策が会議で具体的に議論され、ガイドラインとして普通に公表されるようになってきていました。
それでも私の意識は決して自立したものではなくて、キャンパス内の学生寮でコンドームの自動販売機があるような環境では必要悪くらいに感じていました。要するに女性の気持ちに真剣に寄り添う気持ちに欠けていましたし、言葉が暴力以上に女性の心を傷つけるなどとはあまり考えたこともありませんでした。
私は、従来ならば無神経に発した言葉も、自分の頭の中で考えてセクハラにならないように配慮できるようになりました。国会や都議会でもセクハラヤジが問題にされていますが、心ない発言をする人たちを、厳しくバッシングして謝罪させるだけでは、彼らの意識は変わらないでしょう。政治家は率先して女性の地位向上のために社会運動を起こしてもらいたいものです。
2014年7月8日火曜日
ロバート メープルソープのヌード写真
ヌード写真といえば何か俗悪で卑猥なものと考えがちですが、中には性的な感情とは無縁の作品もあります。卑猥の定義の難しさから、それは見れば分かると名言を吐いた人がいましたが、ロバート メープルソープの作品、例えば「LYDIA」(1985)を鑑賞してみてください。
私は卑猥とは覗き見趣味を直線的に満足させるものだと考えています。その下品さは何もヌード写真に限ったことではなくて、女性週刊誌やタブロイド紙などが他人の私生活に異常な関心を示して書きたてるのもみな覗き見趣味に通じるところがあります。但し、芸能人のゴシップ記事はビジネスでしかありません。
ハンバーガー世代の都会っ子
車内で遭遇した二人の女子大生の会話は、まさにイソップ物語の「田舎のネズミと町のネズミ」の物語のようでした。
都会出の女子大生は友人が町から出てきたことを知ると端から見下すように、ヤバ、ヤバと人目などお構いなしに叫びながら笑い飛ばし、スーパーはあるか、コンビニはあるか、マックはあるかなどとからかって得意がっていました。
フランスでは都会人と田舎人の意識の差は日本ほど大きくないような気がします。その理由は食にありそうで、フランスでは両者は豊かな食文化でつながっていますから、都会人にとっても田舎はひなびた非文明的な土地ではありません。
彼女の無邪気でストレートな話しぶりを見ていて、いつも比較されながら人間を相対的に見るように育ったハンバーガー世代の都会人の感覚とはこういうものなのかと実感しました。
2014年7月7日月曜日
笑い話 相変わらずの擦れ違い
「あらっ、今朝は一服しないの?」
「うん、お前がウォーキング始めたからさ。」
「あら、私は長生きしたいの。」
「だからさー、俺も長生きしなくっちゃね。」
「これじゃせっかくのウォーキングも無駄になりそう...」
2014年7月6日日曜日
大切な肌の触れ合い
末期がんのご主人を持つ女性の苦悩は他人には測りきれません。特に肺がんなどの最期は非常に大きな苦しみを伴うことも多いですから、看病する家族にとっては余計につらいものです。
先日も家内が近隣に住むご婦人に辛い気持ちを打ち明けられて、聞くも涙、言うも涙の状態だったようです。いたたまれなくてずっとご婦人の腕を取っていてあげたら、最後に触ってくれてありがとうと言われたそうです。
日本では年老いてくる肌の触れ合う付き合いなどはありません。西洋では抱き合って頬に軽くキスする挨拶があります。非常に親しい身内の間のものですが、私の場合にはいつまでたってもぎこちなさが取れませんでした。
折しも市民が手をつないで国立劇場を取り囲んで解体工事阻止をアピールしたと報道されています。年を取って体に触れ合う機会がなくなってきたら、みんなで手をつないで市民運動に励むのもいいかもしれません。
2014年7月5日土曜日
常識の通用しない社会
近頃は常識では考えられないことがたくさんあります。最たるものが集団的自衛権の行使容認です。現行憲法を常識をもって読めば、自衛隊が日本の領土外で戦闘行為に参加することができるなどとは絶対に読み取れません。
原発についても東日本大震災で絶対の安全はありえないことがはっきりしました。原発が文明に馴染まないテクノロジーであることはもはや常識のはずですが、日本ではいろいろと自己都合のある人たちも多くて、この常識はなかなか根付きません。
また2020年東京オリンピックのために現存する建物をすっかり取り壊して新国立競技場を建設するというのに、NHKは東京都や政府に気がねしてかこれを新築とは言わずに ‘改築’ と表現する報道姿勢も、常識では理解不能です。
常識は ‘社会’ の基本的な共通認識ですが、‘自己’ 都合しか頭にない人たちにとっては厄介な代物です。常識を無視して屁理屈をこねたり、居直ったり、だんまりを決め込むご都合主義が日本の民主主義をむしばんでいないでしょうか。
2014年7月3日木曜日
NHK 花子とアン
最近のテレビドラマで気になるのが‘ヤケ酒’のシーンです。ビールなどのCMはテレビ局にとってはもっとも重要な収入源ですから、‘アルコールのすすめ’を広めねばなりません。人生の大やけどは、だいたいヤケ酒に結びつくものですが、ヤケ酒はアルコールへの警戒心を解くのにもっとも有効です。
特に近年ではアルコール消費促進のために飲酒率の低い女性が恰好のターゲットになってきたからか、女性のアルコール依存症が右肩上がりで増加していっます。ビールのCMはオヤジがグイ飲みする姿が定番でしたが、今日では若い女性が起用されます。
今日のNHKの人気朝ドラ‘花子とアン’でも女性がヤケ酒を勧めるシーンがありました。一事が万事とは言いませんが、NHKさんの良識は民放並に薄っぺらくなってしまったのでしょうか。
2014年7月2日水曜日
歯抜けの織田信長を想像できますか?
時代劇を見ていると奇妙なことに気が付きます。登場人物は例外なく綺麗な歯並びをしていて虫歯の治療痕がまったくないことです。実際には時代劇に描かれる主要人物がことごとく歯抜けであったなどということは、ありえない話ではないはずです。
こうした歯並びのことをひとつ考えても、時代劇が描き出すのはヒーローを過剰に美化する虚構の姿であって、案外誤った人物評価を定着させかねないことが分かります。
2014年7月1日火曜日
きっと徴兵制はやって来る
公明党が予想通り折れて集団的自衛権の行使が可能となりました。日本は先祖返りして‘普通の国’に戻ったということです。
日本の領土外で自衛隊が戦闘する理由など、今回のような屁理屈を使って強引にいけばいくらでも作文することができます。
今回の政府決定により、その気になれば憲法を完全に骨抜きにできることが証明されました。何よりも恐ろしいのは、ナチスと同じような手法が21世紀の日本で取られたことです。
高齢化で本当の戦闘員がいない自衛隊がまず必要とするのが満18歳からの徴兵制でしょう。そのためには成人年齢を満18歳に引き下げねばなりません。これが政府内で具体的に議論され始めたら危ないですね。
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