小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2015年1月2日金曜日

世界で注目されているケアリングの心が通用しない日本であっていいのだろうか

 困っているところを見たら気になって放っておけない、見て見ぬふりはできないというのが、これからお話しするケアリングという一種の人間関係の本質です。ケアリングとは、特に医療や介護の分野で何らかのケア(≒行為)が好ましい肯定的な人間関係のもとで実体化する過程を言い、これは二度と再現することはできません。


 なぜケアリングは個別に再現できないのかというと、ケアリング関係のもとでケアが実体化する過程では、ケアを受ける者とケアを提供する者はともに新しい自己に成長するのであり、ケアリングが完結する時点ではもはや両者ともに元の自己ではない新しい自己になっているからです。


 またケアリングの注目すべき特徴は、ケアリングに成功するとケアの提供者は癒しの効果という報酬が得られてストレスから解放されることです。例えば、大好きな恋人に身分不相応な高価なダイヤの指輪をプレゼントしても、その笑顔を見れば重い金銭的な負担など吹っ飛んでしまうのは、恋愛関係はケアリング関係の亜系にあって好意の実体化によって癒し効果がもたらされるからです。


 ケアリングの心のあり方は、何かをしようと敢えて努力することではなくて、恋人に対するように自然に何かをしてしまうという完全な受動性にあります。超人的な努力の天才ピアニスト辻井伸行さんは、努力しようと思ってやっているわけではない、ただ夢中になっているだけだと語っています。これこそがケアリングの心のあり方の神髄です。

 

 残念なことに、私たちはいろいろなことに見て見ぬふりをして自然な気持ちが遮断されていてケアリングが機能しにくい御都合主義の社会を生きています。そこが今日の日本のひとつの問題点ではないでしょうか。