小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2018年7月25日水曜日

武士道ってなんだろう

 「〇〇道」といえば武士道を直ぐに思い浮かべますが、これは単なる武術という切り合いの域を超えたいわば思想的な背景を持った名称です。


 剣豪たるものは敵をバッタバッタと切り捨てられる剣術の腕前を持っていれば十分な気もしますが、武士道の前にはさらに武士たる道徳観・倫理観を持つことが絶対条件とされます。


 武士道によって、戦国時代の強い奴が偉いという現実主義的な考え方が否定され、強くても必ずしも評価されなくなったのは、どうも平和が続いた江戸時代からのような気がしてなりません。


 平和な江戸時代には武士が戦闘で武勲をあげるチャンスはありませんでした。そういう状況で武士の威厳を保ち、武士集団の暴発を抑えるために、歪んだ道徳観を貼りつけるのが都合が良かったのでしょう。


 太平洋戦争では大和魂などといっておびただしい数の兵士や市民の尊い命が失われましたが、これも根底では武士道精神とつながっていたように思われてなりません。


 理由はともかく、先ずは戦わないこと、そして命を大切にすること、が至高の道徳観であるべきところ、武士道はこれを否定し、妥協と寛容を許しません。

 武士道が求めるものは威厳であり、尊厳ではないからこそ、今日の道徳観とは相いれないのではないでしょうか。