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2018年6月6日水曜日

福島原発事故 原発推進派の守りたいものは何だろうか

 東電の旧経営陣を相手に起こされた東京地裁の刑事裁判では、巨大津波を予測できていたか否かが主な争点になっています。


 被告の旧経営陣の主張は、巨大津波は予測不能だから対策を講じなくても過失ではなく、従って責任もないというもののようですが、検察側は高さ15m近い巨大津波の可能性を指摘されるも何もしないで放置したために非常用電源喪失に至ったとしています。


 しかし、時系列でメルトダウンまでの経過をたどってみると、地震でまず外部電源が全部喪失し、それで地下にあった非常用ディーゼル発電機が作動するも、50分後には襲来した大津波によってこれも水没。結局は原発サイト内の全電源は完全に失われて結果的に核燃料のメルトダウンに至っています。


 裁判では巨大津波による非常用ディーゼル発電機の水没が水素爆発につながったかのように争われている印象を受けますが、実際にはそれほど甚大な揺れでもなかった地震によって鉄塔や変電所が簡単に破壊されてしまい、外部電源の供給が絶たれてしまった事実の方が、本当は重大な問題なのです。

 

 どちらにしても原発推進派は安全‘神話’で固めてきた原発の惨状を福島で目の当たりにして、常識的にはドイツのように原発はなくさなければならないという考えになってもいいはずですが、それでも彼らが相変わらず原発推進に固執して守りたいものとは何なのか、私たちは考えてみる必要があります。