小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2016年10月11日火曜日

教育と暴力

 1980年代までの日本の学校では先生による暴力制裁はそれほど珍しいことではありませんでした。そこでは子どもの躾という目的が最優先され、子どもの心は教育的暴力で大人の思い通りに‘形成’できるという一種の思い上がりがありました。


 スポーツ選手の指導に暴力がつきものなのは、試合に勝利するためには外に現れる選手の動きだけをコントロールすればよいからです。選手が野獣であろうが聖人であろうが、スポーツの勝負に内面まで細かく云々する理由はありません。つまりスポーツと暴力は必然的に極めて高い親和性があります。


 しかし、人間を暴力で外見的には統御できても、決して望ましい良好な人格まで育成できるわけではありません。つまり暴力では人間の内面までは干渉できないが故に、子どもたちの人としての成長を願う教育現場においては暴力は否定されるのです。