小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

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2016年2月4日木曜日

二人の天才 清原和博と桑田真澄

 今からおよそ30年前のバブル発生直前1983年4月に高校野球の名門PL学園に入学した二人の若い高校生の生き方はあまりにも対照的でした。

 

 毎日200球から300球の投げ込みと練習後の自主ランニングを黙々と続け、授業も決して眠ることなく真剣に取り組んだのが桑田(敬称略)でした。一方で甲子園に桑田と一緒に連続出場して活躍しながらも、挫折感を味わっては桑田の背中を見つめていたのが清原(敬称略)でした。

 

  二人には失礼かもしれませんが、桑田の生き方は挫折しないためにあり、清原は挫折を糧にして成長する人生であったと思われてなりません。清原は豪放磊落に生きたように見えますが、挫折の味をしっかり噛みしめては自分をリセットし、さらに一段の高みを追い続けたからこそプロでも4番の座を守ることが出来たのでしょう。

 

 清原の心のリセットボタンには泥臭い反骨心という導火線が付いていたように思われますが、この導火線は私たちが日常に埋没して忘れかけているものではないでしょうか。


 注 このテーマは2014年11月17日のブログの再掲載です。バッカモンになってしまった清原和博氏の心に反骨心の炎がまだ燃えていることを祈ります。