小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2014年10月30日木曜日

酒飲み新記録樹立後に死亡

 フランスはパリのバーで行われた酒飲み競争で50代の男性が新記録を打ち立てたまではよかったものの、帰宅後に救急車で病院に運ばれて心臓発作で亡くなりました。


 人間の身体は飲んだアルコールを貯蔵しておくことはできません。また個人的にアルコールの分解能力は一定に決まっています。ですから、過剰摂取されたアルコールはそのまま体内をぐるぐるまわりしていろいろな悪さをします。


 大量飲酒で意識朦朧となってたとえ病院に運ばれても、体内のアルコール量を医学的に短時間で減らす方法はありません。今回のようなケースを救う有効な手立てはなかったはずです。深酒は自慢になりません。

笑い話 金庫番の役割

「先生は何も悪くありません。」

「すべてあなたがやったことだと。」

「そうです。一切指示されたことはありません。」

「じゃー、あなたが先生に指示していたんだ。」

2014年10月29日水曜日

今日の道徳教育の怖さ

 今日の日本の道徳教育は戦前の教育勅語の焼き直しのような内容のもので、とても現代社会に相応しいとは言えません。


 もとより教育勅語は明治時代から敗戦時まで国民の道徳規範の根源でした。天皇制を絶対視する皇国史観の鋳型から鋳造され、社会変革を許さない発展性のない強直した価値観が国民に強制されました。人間の尊厳は完全に無視されて個人は普通名詞化され、国民は臣民としてひとくくりにされて語られるしかありませんでした。


 当時の教育にスッポリと欠落していたのが人権教育でした。人権を認めるということは国民ひとりひとりが名前のある固有名詞で語られることを意味します。具体的な例で言えば、私は愛日長アマガエルであり、私なりの固有の価値観を持った人間としてアイデンティティを認められねばならないということです。


 このような視点が尊重されて個人がそれぞれに幸せになるためには、個人と社会と国家との間に存在する矛盾が調整される余地が準備されていなければならず、それは取りも直さず国家が社会の変革に寛容であるということが絶対条件です。


 こうした論理を理解する最も重要なキーワードが人権であり、私たちが認識すべきは人権の重要性です。戦前教育の最大の過ちは人権無視の社会で道徳ばかりがもてはやされたことと言えるでしょう。戦後教育は同じ過ちを再び繰り返していないでしょうか。教育者は意識的に人権教育を避けていないか胸に手を当てて考えてみてください。

2014年10月27日月曜日

今日の危険ドラッグの危うさ

 最近の危険ドラッグによる事件報道に触れると、従来からの薬物依存とは違った大変に忌々しい問題になりつつある感じがしてなりません。その理由を日本の歴史的な背景に触れながら説明したいと思います。


 薬物で代表的なものは麻薬です。その中でも阿片は中東地域では古代から知られていて吸煙されていました。お隣の中国で依存症を起こす吸煙が始まったのは17世紀中葉頃だったと言われます。日本では薬の原料として江戸時代の和薬種六箇条(1722)に記され、幕府の監視の下で正式に国内流通することになりました。


 明治政府は阿片流入による社会の混乱から西欧先進国の植民地化するのを警戒して特に阿片吸煙を厳しく取り締まりました。まず阿片の国家管理を従来より一層強化するとともに不正販売は死罪に処することにしました。一方で輸入を減らすために国内増産にあの手この手を尽くしましたが結局は生産量は停滞しました。


 明治政府の目論見は見事に外れ、阿片の国内大増産政策は失敗に終わりました。おかげで阿片の横流しの起きる余地はなくて、不幸中の幸いというか国家管理の水漏れを防ぐことになりました。そして大正・昭和の戦争時代となると阿片は軍部の厳しい管理統制下に置かれて不正流通の余地はありませんでした。こうして日本国内で阿片禍は起こりませんでした。


 しかしながら、危険ドラッグについては製造拠点の把握は難しくて野放し状態にあり、販売にはインターネットが利用されて統制が難しく、すべてが後追いの対策になってしまいます。こうして終わりのないモグラたたき状態となり、危険ドラッグの流通量は増え続けることになるでしょう。厳罰で対処するしかないのかもしれません。

お手伝いさんと家庭教育

 お手伝いさんが家にいて何でもしてもらえるのは必ずしも教育上は悪いこととは言えなさそうです。私の知るある家庭では、奥様に付いていつも二人のお手伝いさんが働いていますが、お子さんはみな立派に成長して活躍しています。


 一方で両親が共に高収入で非常に多忙なため、家のことはすべてお手伝いさん任せの家庭があります。お手伝いさんはまさに使用人で人格のない奴隷のように扱われています。家族間の接触は希薄で会話も団らんもありませんから、二人のお子さんは何をするにもお金を与えられるだけで育ってきました。結局は人を見下す習慣と荒いお金使いが身についてしまいました。


 私はこうしたケースに長らく接して感じたのは、子どもが家庭内であからさまな差別意識のある環境で育つと、子どももそういう見方が自然に身に沁みついて人間を差別的にしか見られない人間になるということです。大人は心したいものです。

2014年10月23日木曜日

セクハラは万死に値する

 セクハラといえば通常は男性が女性に対して行う性的暴力行為であり、嫌がらせの域を超えた犯罪です。特に学校はその特性から無言のうちに上下関係が生じやすい空間と言え、中でも大学では教員の地位は権威の根拠ですから、案外セクハラの危険度は高いといえます。

 学生の立場からすると、教員の指導は本来ならば職業的誠意そのもののはずですが、そこにセクハラ行為の意図が含まれていたとしても、なかなかはっきりとした実体として見えてこないかぎりは告発も拒否もできません。つまり学生は自衛手段の施しようがないのですから、教員は重大な義務を負っていることを肝に銘じなければなりません。

2014年10月22日水曜日

日本ハム 大谷選手が年俸1億円突破か

 二刀流で活躍するに本ハム大谷翔平選手は、投手では11勝し、打者としても一流の結果を残して無事に今シーズンを終えました。日本シリーズには進めませんでしたが、クライマックスシリーズでは2試合に登板して奮闘しました。


 私は二刀流は選手生命を短くするという考えから反対でしたが、他の選手の倍くらいの練習量をこなして負担の重さをものともせずに今シーズンを乗り切ってしまいました。しかし、流石にクライマックスシリーズ第五戦の登板では前日の野手出場の疲労からか調子は良くありませんでした。この事実をみるとやはり二刀流の負担は重すぎるような気がしてなりません。


 ただ、大谷選手はどちらかと言えば投手を主にして野手としては従の役割を与えられながら起用されていますから、私が想像した両方に目いっぱいではないところに監督の深い配慮がうかがえます。私が疑問視していた二刀流から次第に打者専業にシフトしていくのも一つのやり方かと思います。来シーズンは年俸1億円突破で一流選手の仲間入りです。