小室圭さんをシッタベンレイ
ノーと言って金満世界を変えよう
とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。 東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。 そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...
2013年12月3日火曜日
2013年12月2日月曜日
看護師という職業
東京新聞(12月2日朝刊)の「本音のコラム」に宮子あずささんが遺族年金の男女差別という文章のなかで看護師の職業の素晴らしさを語っています。一部を引用します。
「看護師は手堅く稼げる仕事。だから、女性看護師が主たる稼ぎ手の家庭は意外に多い。矜持を持って生きつつ、男社会にはまらぬ男性はすてきな人が多い。男性を稼ぎの多寡で選ばずに済むのも、看護師という人生の醍醐味かもしれない。」
看護師としての揺るぎない自信をもった人が達観した人生観をもって吐露した言葉に感心しました。男として納得の一言です。
就活でへこんだら
時々就活でへこんだ教え子たちが黒猫ディーンのところにいる私に会いに来ます。彼らはだいたい調子のいい時は現れませんから、「便りの無いのは良い便り」とはよくいったものです。夕方ならいつでもいます。3人(2人と1匹)で夜空の下でお喋りすれば澄み切った星空のように気持がスッキリするでしょう。
就活対策 ある程度の妥協が必要
就職は個人の適性、実力、体験そして意欲などがうまくかみ合ったところに決まれば一番いいのですが、そうはうまくいかないのが世の常です。余程のエリート層でない限りは、就職にはある程度の妥協が必要です。決まったところで地道に精一杯やっていれば思いがけない自分を発見することも稀ではありません。そうなると仕事が面白くなってきて将来が明るく開けてくるでしょう。
日本の社会はどうしても仕事中心の男社会です。上司や取引先などを自分の私生活よりも優先的に考えて仕事をしなければなりません。そんななかで私生活も守り、しかも愚痴らずにいつも前向きに自分の職務に励めばきっと認めてくれる理解者は出てくるはずです。そういう人間関係を少しずつ広げていける人間になってください。
就活対策 キャリアコンサルティング技能士なんて何者だ?!
日本経済新聞(12月2日朝刊)の “就活 賢く制す”という記事の中で、キャリアコンサルティング技能士が「お礼は『ありがとうございます』を言い終わってから、頭を下げるのが基本です」と言っていると書いてあります。申し分けないですが、そんなのどっちでもいいだろ!
こういう訳の分からない専門家が出てきてむしろ有害な情報を就活学生に植え付け回っているとしたら、もうこれは悲劇です。その上、「経団連のアンケートを基に企業が求める人材像などを解説した」とあります。企業の求める人間を演じて回るのではなくて、自分を必要としてくれる企業を探すのが就活のはずなのに、本末転倒も甚だしいことです。
こんな就活フェアやセミナーは新興宗教の勧誘セミナーと同じようなものです。もっと自分をじっくり見つめて自分で考えて就活しないとみな落っこちます。企業の採用担当者にはそんなワザとらしい希望者の擬態など一瞬で見破られて終わりです。みんなと同じことをしていないと不安に駆られるという自信のなさこそが問題であることをまずは自覚しましょう。
異様な就活シーン 誰もレッドカードを出さないのだろうか
大学生の就活が12月1日に解禁となって合同説明会は盛況を極めているようです。その様子からは大学生の必死さが見て取れますが、何か異様な雰囲気でもあります。何千人もの大学生全員がリクルートスーツに身を固めて会場に押し掛ける様は就活に翻弄される現代の若者の自主性のなさにも一因があるかもしれませんが、それだけではなさそうです。
このような異常な状態を作りだしている元凶の企業側の消極性には目を覆いたくなりますが、その流れに迎合するかのようにむしろ有害とも言える模擬面接訓練やら就活セミナーを積極的に展開して学生を追い立てている多くの大学も情けない存在に成り下がりました。
昨夜朝日テレビで「オリンピックの身代金」という印象深いドラマが放映されました。その中で爆破犯人が大学に逃げ込んで官権の追跡を逃れる場面がありました。東大の安田講堂事件以前には大学は学問の府としてもっとも高度な自治で守られていて官権の手の及ばぬ場所でしたが、今日ではその気高さはあまり感じられません。
大学が政府・官庁の顔色をうかがいながら教育という名のもとに若者を自分たちの都合に合わせて利用するようになったのはいつ頃なのかは分かりませんが、少なくとも黒いリクルートスーツに身を包んだ無数の学生が右往左往しなくなったときこそ本当の大学教育が日本に根付いた時ということが言えるのかもしれません。
このような異常な状態を作りだしている元凶の企業側の消極性には目を覆いたくなりますが、その流れに迎合するかのようにむしろ有害とも言える模擬面接訓練やら就活セミナーを積極的に展開して学生を追い立てている多くの大学も情けない存在に成り下がりました。
昨夜朝日テレビで「オリンピックの身代金」という印象深いドラマが放映されました。その中で爆破犯人が大学に逃げ込んで官権の追跡を逃れる場面がありました。東大の安田講堂事件以前には大学は学問の府としてもっとも高度な自治で守られていて官権の手の及ばぬ場所でしたが、今日ではその気高さはあまり感じられません。
大学が政府・官庁の顔色をうかがいながら教育という名のもとに若者を自分たちの都合に合わせて利用するようになったのはいつ頃なのかは分かりませんが、少なくとも黒いリクルートスーツに身を包んだ無数の学生が右往左往しなくなったときこそ本当の大学教育が日本に根付いた時ということが言えるのかもしれません。
テロと暴力の本質的相違を考えてみる
石破茂自民党幹事長が絶叫デモは本質的にテロと変わらないとブログで述べて批判を受けています。彼としては国会周辺の絶叫行動は迷惑行為であると言うべきところ彼の感情的な部分を込めてテロという言葉になったのでしょう。その自己抑制の感じられない傲慢さが気になります。
単純な大音響の迷惑行為ならば、渋谷や新宿駅周辺などで繰り広げられるトレーラー車を使った宣伝行為や商店街に一日中流れる有線放送もあります。こうした騒音も街宣車のような形態を取れば市民に恐怖感を与えます。そしてこれが度を過ぎれば暴力にもなりかねません。では暴力とテロとの違いはどこにあるのでしょうか。
テロも暴力もともに組織的なものがありますから組織性だけでは区分けはできません。暴力が善良な市民に向けられた場合に社会不安や政府転覆が目的となればテロという範疇に入ってきます。ただ暴力もテロも恐怖を掻き立てるものですが、政権ないしは国家に真っ向から暴力的に敵対するものでない限りはテロとは呼べないように思われます。
しかし、それだけでテロと呼ぶのは安易すぎます。テロの本質としては、高度な組織性と大きな社会かく乱の事実だけではなく、さらに切迫した現実性がなければならないと思います。このあたりの認識に欠ける人が政権の中枢にいることの方がある意味ではテロよりも怖いことではないでしょうか。なぜならそういう人は冷静であるべきところで過剰反応しかねないからです。
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