小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2018年12月26日水曜日

ねじ曲げられた儒教思想

 本来の儒教思想によれば理不尽な主君には反抗して殺しても構わないというのが道理のようです。


 ところが日本の儒教は主君の前には絶対服従を強制しており、いかなる暴君であろうとも反抗は許されないとする風潮があります。


 韓国では容赦なく元大統領が犯罪者にされているのは、日本とは儒教思想が根本的に違うからなのでしょう。

2018年12月24日月曜日

日本人と中国人の感覚の違い

 日本の箸は先細りなうえに先が尖っていますが、中国では先まで同じ太さで先も尖っていません。


 書においてもガラシャ夫人などの女性の細字やら良寛さんの毛髪のように細い楷書の文字を書いた中国の書家はいません。


 この日本の極細字と中国の太字を混在させて独自の艶媚な書風を創り上げたのが本阿弥光悦です。


 日本人と中国人は同じ漢字文化圏にありながら、文字については不思議に正反対の感覚を持っています。


 

 

2018年12月19日水曜日

3週間も運動しないと...

 今月は多忙を極めていましたが、猫の餌やりは休むわけにもいかず、普段は歩いて通うところをバスやタクシーで行き来していました。そのせいか先週になって駅の階段を上がるにも脚が鉛のように重く感じるようになりました。


 これは運動不足だと直感して、先週末から再び毎日10km以上を歩くようにしたら、今日になってやっと足取りが軽くなってきました。この歳になると2週間運動しないで怠けると元の体力に戻るには1週間は必要のようです。


 歳を取ればとるほど体力を元に戻すのに時間がかかるはずですから、怠ける時間があまりに長くなるともはや回復する気力も失せてしまいかねません。

ソフトバンク株の悲劇

 ソフトバンク株は配当利率5%というふれ込みが蒔きエサとなって新規公募株は完売御礼でした。

 

 しかし、今日の上場初値は公募価格1500円に達せず、そのままズルズルと値を下げて、結局は1282円で初日を終えました。

 

 孫さんは寄り付きで売り逃げて2.6兆円を確保したようですが、斜陽化するソフトバンク切り捨てです。


 上場後半年で6000円が2000円になったメルカリ株といい、証券会社もやりすぎです。

2018年12月15日土曜日

人の使い方の極意

 ある人はせっかちで直ぐに怒り出す性格ながら100人の職員を動かす事務長の地位にあります。


 彼は仕事のことでは部下を怒鳴りつけることもしばしばで、そんな時には周囲の人たちは嵐が通り過ぎるのを黙って待つしかありません。そんな職場ながら、職員は案外定着して辞めていく人がいないことを私は不思議に思っていました。


 その事務長は職員の良いところは口に出しますが、絶対に悪口は言いません。人手不足の職場の人事管理の極意はそんなところにあるのでしょう。

風邪で直ぐに医者にかかる人

 今日は降圧剤をもらいにクリニックに行きましたら、咳が出る、ノドが痛い、など風邪症状を訴えて来る人が何人もいましたが、熱を測ってきた人は誰もいませんでした。


 風邪だと思ったら先ずは熱を測って様子をみるしかないのですが、彼らは安易なコンビニ感覚でクリニックに来て、整腸、痛み止め、咳止めなどの薬をたくさん処方されると安心するようです。


 風邪薬はむしろ危険なこともあるのに、風邪を引いたら薬を飲めばいいという、安直な意識の人たちが多いことに驚きました。

2018年12月10日月曜日

貴ノ岩引退と付け人制度

 暴力根絶に向けて角界上げて努力しているところに、皮肉にも今度は貴ノ岩が暴力事件を起こして引退に追い込まれました。


 それにしても関取が下位の力士を奴隷のようにこき使う付け人の習慣が暴力沙汰の温床であることに誰も思い至らないのが不思議でなりません。

ゴミの違い 高級住宅地と庶民住宅地

 庶民住宅地のゴミには、栄養ドリンク瓶、ビール缶そしてコーラなどの飲料ペットボトルが目立って多いそうです。


 これは富裕層と庶民階層の生活の質が根本的に異なっていて、貧富の差が生活面における潤いの差につながっているとすれば残酷な話です。

2018年12月3日月曜日

渋谷駅前の恐怖感

 ハチ公広場の近くでお年寄りがつまづいて顔面から前のめりに転倒しました。それを目撃した私は、直ぐに近寄って声を掛けると意識は確かでした。


 しかし、お年寄りをひとりで抱き起こすのに手こずり、誰か手助けしてくれる人を待ちましたが、通行人は見て見ぬふりばかりでした。

 

 無表情に私の頭上を通り過ぎていく通行人に対して、ニューヨークのスラム街に迷い込んだ時よりずっと強い絶望感を感じました。

日比谷公園で菊談議

 毎年恒例の菊の展示会が日比谷公園でありました。出品者は高齢者ばかりのためか展示に新鮮味がなくて訪れる人はまばらです。


 出品者としては、大好きな菊の栽培で賞を争うのがやりがいの源であって、人に鑑賞してもらうことが目的ではないためか、訪問者の数に無関心なのでしょう。


 ところが、私が出品者のひとりに展示品の栽培方法について細々と尋ねているうちに、私たちの会話に釣られて人だかりができて驚きました。