小室圭さんをシッタベンレイ

ノーと言って金満世界を変えよう

  とうとうコーツIOC副委員長が来日して、これからはオリンピック開催への直接的圧力が強まりそうな気配です。  東京オリンピックが多数の病人も出そうな真夏に開催されるのはビジネスとしての都合からで巨額の放映権料を稼ぐためでもあります。  そんな開催してもお金、中止してもお金の五輪...

2018年7月30日月曜日

世界一のセックスレス国

 人類はまだまだ増え続けております。つまり、人間は放っておいても絶滅することはなさそうです。


 しかし、日本人の出生率は低下の一途で、不妊治療も大盛況ですし、セックスレス率は先進国で世界一です。


 どうも何か異変が起こっているのは間違いありませんが、日本人特有の現象であるところが不可解です。

電力喪失の恐怖をご存知ですか

 現代社会に電気がなければ、エアコンどころか上下水道、食料品供給、行政、病院、電話、インターネットなどあらゆる社会機能がマヒして日本人はほぼ全滅です。


 そんな悲劇は想像したくはありませんが、可能性としては先ずは富士山の爆発による降灰で、最悪なのは日本上空で核爆発が起こることです。

2018年7月29日日曜日

英語、ドイツ語、日本語 それぞれの血縁関係

 私が最高の恋愛歌というネーナの「リーベ イスト」にはネットを見ると英訳も邦訳もあります。


 英訳はかなりの出来栄えですが、邦訳の方はどれも今一歩で、誤訳に近い部分も見受けられます。


 普段は感じませんが、こうしたところに英語とドイツ語の間にある強い血縁関係を実感します。

2018年7月26日木曜日

美容整形 欧米と日本の大きな違い

 日本の美容整形手術の90%は顔に集中しているのに、欧米では豊胸などの体型に関わる手術が大半を占めているそうです。

 

 西洋人がわざわざ二重瞼を一重瞼にしたり、鼻筋が通っているのに団子鼻に整形するはずはありませんから、顔の美容整形が少ないのは当然といえば当然です。


 ギリシャ・ローマ時代の彫刻はむしろ均整の取れた理想的な肉体美が表現されていて、その流れを汲む欧米では彫刻像の美への憧れが強いのでしょう。


 一方で、日本では近代までギリシャ・ローマ彫刻のようなリアルなものは存在せず、仏教美術の仏像ばかりだったわけで、いわば顔が命でした。


 こうした歴史や文化の違いが今日の美容整形の傾向にまで影響していると考えると、日本人がイケメンに夢中になるのもよく分かります。

オウム死刑執行 なぜ女性大臣にやらせたか

 オウム真理教死刑囚13人の死刑執行書に署名したのは女性でした。経済先進国で死刑制度を維持しているのは世界で中国と日本だけです。


 アメリカは連邦制ですから州政府によって判断は違いますが、現在では南部の一部を除きほとんどの州で死刑執行は停止されています。


 中国については実際のデータは公表されていないようですから、実情は分かりませんし、もちろん隣国の北朝鮮についても分かりません。


 世界で衰退の一途をたどる中で、短期間に13人の死刑執行が行われるのは異例であり、それをわざわざ数少ない女性閣僚に引き受けさせてやらせたという感じがして気になります。

生き返った老夫婦

 近所の老夫婦はこの夏が越えられるのか心配なほど衰弱してきていて、近くのスーパーに買い物に行くのがやっとの状況でした。


 ところが最近はバス停まで歩いて街中に買い物に行くほど元気になりました。その理由を探ってみると、今春のメチャ可愛い子猫の誕生にあるように思われてきました。


 先日の夕刻に老夫婦の庭先を通りかかると、庭先でじゃれ合っていた子猫ちゃんたちを室内に呼び入れるのを目撃してしまいました。


 おじいちゃんは猫が添い寝してくれるようになって、犬派から猫派に宗門改をしましたが、きっと子猫ちゃんたちに生きるエネルギーをもらったのでしょう。

2018年7月25日水曜日

武士道ってなんだろう

 「〇〇道」といえば武士道を直ぐに思い浮かべますが、これは単なる武術という切り合いの域を超えたいわば思想的な背景を持った名称です。


 剣豪たるものは敵をバッタバッタと切り捨てられる剣術の腕前を持っていれば十分な気もしますが、武士道の前にはさらに武士たる道徳観・倫理観を持つことが絶対条件とされます。


 武士道によって、戦国時代の強い奴が偉いという現実主義的な考え方が否定され、強くても必ずしも評価されなくなったのは、どうも平和が続いた江戸時代からのような気がしてなりません。


 平和な江戸時代には武士が戦闘で武勲をあげるチャンスはありませんでした。そういう状況で武士の威厳を保ち、武士集団の暴発を抑えるために、歪んだ道徳観を貼りつけるのが都合が良かったのでしょう。


 太平洋戦争では大和魂などといっておびただしい数の兵士や市民の尊い命が失われましたが、これも根底では武士道精神とつながっていたように思われてなりません。


 理由はともかく、先ずは戦わないこと、そして命を大切にすること、が至高の道徳観であるべきところ、武士道はこれを否定し、妥協と寛容を許しません。

 武士道が求めるものは威厳であり、尊厳ではないからこそ、今日の道徳観とは相いれないのではないでしょうか。