9月1日に旧東ドイツはチュウビンゲン州の州議会選挙で極右とされる「ドイツのための選択肢」が第一党勢力となりました。
まだベルリンの壁があって東ドイツには日本人は行けなかった1970年代に、私は東ベルリンにある理由で長期滞在したことがあります。
当時の西ドイツの高速道路ではすでにポルシェが時速250kmでスイスイ走り、週末にはスーパカーが集合してスピード争いをしていました。
一方で東ドイツでは道路は広いものの日本の古い軽自動車に似た東ドイツ製のトラバントが稀に走っているくらいで驚かされました。
また燃料に質の悪い石炭を使っていたため東ドイツの街並みは黒く煤けて暗く、道行く人々は下向き加減で無言で寂しげでした。
言わば現代の北朝鮮と韓国を統一するような歴史上の大仕事をドイツはその英知と国民の勤勉で少しずつ克服しつつありました。
しかし、東西ドイツ間の貧富の差は今日でも残酷なほど大きく、近年の世界的潮流である貧富の差の極大化現象が極右勢力の台頭を許したのでしょう。